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2004/11/20

少女時代    ー東京へー     ( 2-1 )

           転校
 1953年2月 東京、品川区小山台に転居。適当な官舎の空きが無いとのことで、とりあえず入居した家だが、2Kの平屋だった。 今考えるとどうやって寝ていたのかと思うが、私には狭いとか、不便だったとかの記憶はない。 子供は何でも現実を受容するのだろう。

 新しい学校の帰り道、私は毎日、商店街のはずれにある、今で言うペットショップに寄り道した。 小鳥、犬、ネコ、ウサギから始まって、は虫類や魚など、色々な種類の動物が、所狭しとおかれ、私はいつまでも飽きずに眺めていた。
 また、家の裏手に隣接していた、林業試験場 (今は林試の森公園) によく行った。 苗木や実験林の間にいると、何となく気持ちが休まった。

 学校では、空き時間に、担任の先生が本を読んでくれた。
 お姫様が死ぬとき、四方八方に飛び散った八個の数珠玉の行方を探し求めるという話だった。 二つ三つと玉が現れる度に、私はどきどきした。 いつも次の空き時間を心待ちにしていた。
 また引っ越しが決まったときは、残りの玉の行方を知らないままに、その学校を去るのが何とも心残りだった。

 1953年5月 少し広い官舎が空いたということで、品川区上大崎に移る。
といっても3Kの家だった。 私には三つ目の小学校だった。 私はこの時期、初めて同年代の友達と遊びまわる楽しさを知った。
 三軒同じ様な官舎が並び、我が家の隣には同い年の康子ちゃんがいた。 官舎の北側に接して、広い芝生に囲まれた洋風の家が二軒あり、アメリカ人の家族が住んでいた。
父親は大学の先生だという話しだった。 そこの子供達も私達の遊び仲間だった。

 官舎内の境界は竹垣だったし、アメリカ人の家のフエンスは低かった。 私達は正規の門を通って行き来することは稀だった。 総てが一続きの庭だった。
 アメリカ人の子供の一番のお姉さん、メアリーは私と康子ちゃんと同い年だった。
メアリーの家には時々遊びに行った。 広いダイニングキッチンは南側に面していて、広くて、窓が大きく、とても明るい感じがした。 冷蔵庫がすごく大きく、中には見たこともない食べ物がギッシリと詰まっていた。 メアリーのお母さんは時々私達にクッキーを作ってくれた。 ミルクとバターの味がするおいしいものだった。

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コメント

初めまして。
タイトルが目にとまり訪問しました。

そしたら懐かしい小山台の文字が目にとまりました。
実は私も子供の頃、小山台に住んでいました。
やはり塀の向こうは林業試験場でした。
私の住んでいたのは、正門側のちょうど品川区と目黒区の境だったんで、同じ小山台でも少し離れた場所だったんじゃないかと思います。

子供の頃、入ってはいけない林業試験場に忍び込んで、カブトムシを捕ったり、貯木場のクチボソを釣ったりしていました。

今思うと、都心にしては、環境は良かったんですねぇ。

そして、途中1年くらい上大崎に引っ越したこともありました。

いや、本当に懐かしい時代を思い出すことができました。

投稿: WILDCAT | 2004/11/21 16:09

こんにちは。
私のブログへコメントありがとうございました。
猫の救出騒動はこのあとも続きます。明日書きます。

担任の先生が読んで下さったお話は「南総里見八犬伝」に
似ていますね(私もその物語には詳しくないけど)

東京も50年前はのどかな風景がそこかしこに点在していたと聞いています。絵画教室で一緒に勉強してらっしゃる方は、
60代・70代の方々が多く、東京生まれの東京育ちで、当時の東京のことをよく話してくださるのです。

アメリカの家庭、私も見てみたい・・・

投稿: 千絵 | 2004/11/20 12:42

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