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2004/11/30

卒業の頃      ( 2-7 )

 3学期も残り少なくなったある日、朝礼の時間、先生からこんな話があった。
 「昭和基地に残した犬の慰霊碑の除幕式に、S君が子供代表として呼ばれました」
 この年の2月、第二次南極観測隊が、悪天候に阻まれ、越冬隊員と数匹の犬しか救助出来ず、15匹の樺太犬が厳寒の南極に残された。 それを悼んで作られたと言う。
 S君が新聞に犬を救って欲しいと投書したらしい。 そんなこともあったので、翌年タローとジローが生きていたとのニュースに、私達は大喜びした。

 この頃、宇宙への関心も強くなっていた。 前の年の10月、ソ連が人工衛星の打ち上げに成功し、11月には犬が宇宙を飛んだ。 この年の1月にはアメリカも人工衛星打ち上げに成功した。 卒業文集に私は次のような夢を書いた。
 「将来ロケットに乗って、月や火星に行ってみたい」

 そうこうしている内に、小学校卒業となった。 卒業式の父兄代表として父が謝辞を述べた。 これは私の仲良しの友人の父親がPTA会長をしていた縁で、頼まれたものだった。
 「・…右も左も区別できない未熟な子供達を、ここまで育てていただいて・…」
 父の謝辞を聞いていて、私は顔が赤くなるのを感じた。  そうなんだ。 私は本当に右と左の区別が苦手だった。 

 「ご飯茶碗を持つのが左手、お箸を持つのが右手よ」
 母は何度も、繰り返し言ってくれたが、しばらくすると忘れてしまった。 東西南北を憶えるのも苦労した。
 ある時など、理科で方位を習った後のプリント練習で0点近い成績を取ってしまった。
母に見せるのがとても恥ずかしかったのを覚えている。
 九九の暗記も苦手だった。 家で何度も何度も練習していると、下の姉にまだ覚えられないのとからかわれた。 

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