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2004/11/05

多摩へ      ( 1-2 )

 終戦を迎え、私達は東京の多摩農林省鳥獣実験場内の宿舎に住むことになった。 父は当時のことを、「また、家族がそろって暮らせるようになり何よりうれしい」と日記に書いている。 当時の食糧事情は最悪だったらしく 
 「その頃の明子ちゃんの頭は、栄養失調のせいで、おできだらけだったわよ」
と下の姉に言われたことがある。 

 父は配給食料だけでは足りないため、母の着物をリュックサックに入れて、八王子まで良く買い出しに出かけた。農家でその着物を、米や野菜と取り替えて又満員電車で帰ってきたという。 玄米で配られる配給米を上の兄が自転車で多摩川を越えたところにある友達の精米所で精白してもらい、上の姉は未だ幼かった私を、いつもおんぶして遊んでくれたという。 
 そんな中、満州(今の中国東北地方)から母の妹、鶴子おばさんが、二人の幼い息子を連れて帰ってきた。 舞鶴まで父が迎えに行ったらしい。 着の身着のままで、憔悴しきって帰国した叔母と二人の幼い子供を、父と母は暖かく、迎え入れてあげたらしい。 叔父は満州で大学の先生をしていたが、終戦と共にソ連に抑留され、帰国したのは、数年後の事だった。

 「良く食べていけたわね」
 私が驚嘆して聞くと母は、
 「当時は、皆お互い助け合うのが当たり前だったのよ。近所の人も色々と食べ物を分けてくれたわ」
と懐かしそうに話していた。
そんな中でも、子供たちは元気に、近所の野山を駆け回って遊んでいたらしい。
昨年、母が亡くなった時、お通夜に来ていた従兄弟が言っていた。
 「あの頃は、楽しかったね。自然も豊かだったし」

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