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2004/12/21

Z先生のこと   ( 2-16 )

  中学3年の時のクラス担任は、職業家庭の先生で “Z先生” だった。 名字は山田だが、他にもう一人山田先生がいたので、名前の頭文字を取ってZ先生と呼ばれていた。 一学期の初めの頃、先生は自作のクラスの歌を作ってきて、まず自分で歌ってみた。 少々音痴だったが、歌は悪くはなかった。 私達も少々照れながらも一緒に歌った。
 Z先生はその頃 “禅” に熱中していた。 良く禅の話もしてくれた。 ある時、足の組みかたを教壇の上で実演してくれた。 私は家に帰ると早速真似をしてみたが、足首が痛くて、先生のようには組めなかった。

 ある時は、雑巾がけの禅的修業方法を話してくれた。 雑巾の洗いかた、いかに床をふくか、すべての動作に禅の極意を読み取れるらしい。 先生にかかると、日常のいやな事でも、面倒くさい事でも、とても有用な修業の対象になってしまった。 職業家庭の授業で簿記を習った事がある。 帳簿それ自体から、作り始めた。 白い紙にペンを使い、青インクと赤インクで線を引いていく。 始めから終りまで、均質に同じ太さで書くように言われる。 私達が苦心惨澹していると、先生はすまして言った。
  「ちゃんと線が引けるようになるには、何年もの修業がいる」
定規を使って書くので、真っ直ぐではあったが、インクの濃淡や、線の太い細いが出来る。
慌てると、インクのシミまで所々に作ってしまう。 それでも何度もやり直しているうちに、少し目を離して見てみると、結構見られるようになってきた。
  「オッ、きれいに書けたな」 
 先生に誉めてもらってとてもうれしかった。 私は職業家庭の時間が好きになった。

 この年は、安保闘争で日本がゆれていた。 新聞では毎日大々的に、安保をめぐる様々な動きが報道されていた。 しかし私は、余り政治には興味がなく、毎日の動物の世話や学校生活で忙しかった。 姉達は違った。 よくテレビを見ながら、上の姉と下の姉が話し合っているのも見られた。 姉達の話しの雰囲気から、私は何か大きな事が起きているのだと感じていた。
 そして、6月のある日、上の姉が目を真っ赤に泣き腫らして家に帰ってきた。 同じ大学の文学部の女子学生が、警官との衝突の中で亡くなったという事だった。

 私は数日後、同級生数人を誘って日比谷公園に出かけた。 何が起こっているのか。
 自分の目で見たかった。 日比谷公園周辺は、警官隊とデモ隊で騒然としていた。 怒声が聞こえた。 規制の笛の音が響き、激しく人波が動いた。 私達はこわごわ遠くからその様子を見ていたが、恐ろしくなって地下鉄駅に降りると、ホームに着いた電車に一目散に乗り込んだ。

 二学期になると進路指導が行なわれ、就職希望者と高校進学希望者それぞれ指導が行なわれるようになった。 Z先生は就職組の指導にかかりっきりになった。 その頃、50人のクラスの中で、就職希望者は10人前後だった。 私達のクラスではなんだか就職希望者の方が輝いてみえた。 その頃の私は、彼らに軽い嫉妬心さえ感じていた。 私が高校進学を希望したのは、何も特別に考えた結果ではなかった。 兄や姉も行ったので、それが普通の事と思っていただけだった。

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» 学校教育は地域に [ヤースのへんしん]
結局は、日本全国の学校で同じ教育指導要領で行うという弊害が出てきてるのでしょうね [続きを読む]

受信: 2004/12/21 18:22

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