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2005/01/10

思春期 -O校と、浪人生活ー ( 3-1 )

               O校時代   
  O校は女子大学の附属高校で、同じ校内に幼稚園から大学まであった。 正門を直進すると大学があり、私達の校舎は右側にあった。 幼稚園からずっと居る人、小学校で入ってきた人、中学校で入ってきた人と様々だった。 中学までは男女共学で、高校は女子校となるため、中学までの男子分50人を、外部から補充した形で私達が入学した。 従って、学校生活は旧来からの在校生ベースで進むことが多かった。 実際、附属から進学した人の中には、日本舞踊の名取りだとか、スポーツ万能の人とか、芸術的センスに優れている人とか、多才な人が多かった。

 入学してまず私が直面した難関は、学校までの道のりの難行苦行である。 小田急で新宿まで出る。 代々木上原は当時普通駅だったので、新宿までの満員電車は結構長く感じられた。 夏ともなると、体中から汗が吹き出て、サウナにいるみたいだった。新宿で山手線に乗り換えるのが、雑踏の中をかいくぐる、一大難関だった。 大塚までの車中、満員電車につきものの“痴漢”に悩まされたことも何度かある。
 ある時、私は意を決して、その男の手をつかんで顔を睨みつけてやった。 次の駅につくや、その男は私の手を振りほどき、雑踏の中に逃げ込んだ。 

 大塚から、学校までの都電はもう修羅場だった。 押し合いへし合い、又押し合って何とか乗り込んでホッとする。 車内では、カバンは伸びきった手の先にかろうじて握られ、うっかり足を上げたら、下ろす場所は見つからなかった。 こんな中で手を撫で回すような“痴漢”にあった日には、もう目も当てられなかった。 今度は降りるのが、また一大仕事だった。 多くの人は、その先の茗荷谷まで行くので、O校前で降りる人はそんなに多くなかった。

 「降ります」 と叫びつつ、何とか学校前に降り立った時、私のセーラー服はヨレヨレになり、ネクタイは青菜に塩の様にダラッと垂れ下がり、胸の校章はしばしばちぎれて無くなっていた。 それでも私は、最期の力をふりしぼって、始業ベルが鳴るすれすれの教室にダッシュした。 私の一日の大半のエネルギーはそれで使い果たしてしまったのか、昼休み後の五時間目は、いつの間にか居眠りしてしまう事が良くあった。 
       

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