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2005/01/21

浪人時代     ( 3-4 )

 ひそかに憧れていた浪人生活が、茫洋として私の前に現れた。 何をしてもいい時間、何もしなくていい時間。 私は時間の支配者になれたのだ。 それにしても、来年の二月までには、まだまだ時間があった。 十分すぎるように思えた。

 そこで私は、秋までは、今までは読みたくても我慢してきた読書の時間に充てようと考えた。 こんなに自由に読書に浸れたのは、随分、久しぶりの気がした。
 まず手始めに独文学の本を読みふけった。 『車輪の下』、『若きウエルテルの悩み』 …。上の姉が薬学部卒業後、文学部独文学科に学士入学していたので、以前から憧れていたのだ。 姉の部屋に行くと色々あったので、私は手当たり次第に読んでいった。
 もし、私が現役で合格していたら、多分独文に進学し、姉のように独語の先生を目指していたと思う。 そのうちに私の関心は、社会科学系に移っていった。

 その頃、中学時代の友人Nさんも浪人していたので、よく会って話すようになっていた。 Nさんは心理学に興味を持っていた。 人間を理解するには心理学が最も有効だと信じ、大学でも心理学を専攻するつもりだった。
 私は、人間は社会的に規定される存在だから、社会、経済を勉強することが先決だと思っていた。 二人は良く議論した。 私達の頭から、受験なんて吹き飛んでいた。意見はしばしば膠着状態に陥った。

 ある日、私はおじさんの家をNさんと訪問した。 おじさんは“進歩的知識人”だったので、下の姉は尊敬して、良く遊びに行っていた。
 私もKさんとの議論に何か前進のきっかけを与えてくれるのではないかと期待していた。 去年、鶴子おばさんが癌で亡くなっていたので、私達が行くと、とても喜んでくれた。 鶴子おばさんが入院した頃、私もよくお見舞いに行った。 従兄弟が母親のために作ってきたアイスキャンデーを、おばさんは私にも食べなさいと勧めてくれた。 
 病気が進行すると、私はお見舞いに行くのを母から止められた。 おばさんの憔悴した姿を、感受性の強い年頃の私に、見せたくなかったようだった。
 数ヶ月の病気の進行と共に、黒かったおじさんの髪は、真っ白になった。 おじさんはお酒が入ると良く言った。
 「あの時、鶴子にモルヒネを使ってくれと看護婦に言っても、聞き入れてくれないんだ。
モルヒネは、習慣性があるので、使えませんの一点ばりでね。 その時、鶴子は数ヶ月の命だと宣告されていたんだよ」

 私達の質問におじさんは、色々丁寧に話してくれた。 共産主義の事、社会主義の事、ソ連や朝鮮の話など、熱心に話してくれた。 
 ただ中国共産党については、正当な共産主義とは違った、亜流と考えている様だった。
私は大いに啓蒙された気分で、その夜、父に議論を吹きかけた。 父は色々私の議論を聞いた後、一寸考えて言った。
 「明子は、今はもっと広く勉強する時期だと思う。 おじさんの思想は一つの考え方だと思うけど、それがすべてではない」

 私はその後も、しばらくは唯物史観から日本史を見直した本を読んだりしてみたが、だんだんと私の関心は自然科学に移っていった。
 その頃、テレビの教育番組で、色々な物理現象の実験を、身近に見せてくれる番組があった。ドライアイスの板が、床をどこまでも滑っていく。 摩擦が限りなくゼロになると、物体の動きは止まらない。 冷凍バナナで釘を打ちつけた。 常温の現象が物質の性質の総てではない。…・・。

 私は、条件が変わることにより、普段の常識とはまったく違う動きをする種々の実験を息を呑んで見つめた。 人間の感覚の不確かさを感じた。
 人間の存在自体が、宇宙の流れの中での、過渡的出来事に過ぎないと思ったとき、限りない虚無感におそわれた。 そのうちに、偶然であれ、存在しているという事実に限りない愛着が湧いてきた。 人間の存在を自然科学の目で見つめなおしたいと思った。

 秋を迎えた頃、自分の将来像が浮かび上がってきていた。 細胞の神秘を探り、生命の根源に迫ろう。 頭の中には、白い実験着を着て、顕微鏡をのぞく私の姿があった。

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