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2005/01/28

ベトナムの少女  ( 3-6 )

  合格発表の日、私は一人で夕方見に行った。 そして私の名前が無いのを知った時、私は泣いていた。 自分の泣いている姿を人に見られたくなかったので、暗くなった道を家まで歩いて帰った。 一時間位の道を、ずっとしゃくりあげていた。

 それから一ヶ月余り、私は初めて、ルートに乗っていない人間の惨めさを味わった。どこにも属していない。社会のどことも関わりの無い自分。

 そうだ、予備校に行こう。 私はある予備校に行った。 そこは、自分と同じ様な人達が集まっていた。 いくらか気分がまぎれた。 テストの成績も国語などは、上位に張り出された。 でも私は、そこで行われている授業が好きになれなかった。 東大の受験には、余り役立つとも思われなかった。 それで数ヶ月でやめてしまった。

 社会とのつながりを持ちたい。 その頃の私は受験より、自分自身の存在感をつかみたかった。 そんな模索の中で、社会人向けの合唱団と、登山クラブに参加した。
 その合唱団は、ソ連や朝鮮の民謡、労働者の歌などを教えてくれた。 大きな口を開けて、大きな声を出すことは、それなりに気分転換になった。 自分達で詩を書き、それに曲をつけるような事もやった。
 当時、米軍による北爆(ベトナム北部爆撃)が行われていた。 ちょうど東大受験のころ開始されたが、私はなるべく考えないようにしていた。 自分の気持ちを動揺させたくなかった。 その後も北爆は激しさを増していた。

 私は『ベトナムの少女』という詩を作った。
 “平和なジャングルの中の一つの村に、ある日、爆弾が落ち、愛する家族を総て失った少女が、戦いに立ち上がる”という内容だった。
 先生はとても、その詩を誉めて、後で曲をつけて、皆で歌ってくれた。 私はうれしいような、恥ずかしいような気持ちで、皆の歌声の中で小さくなっていた。

 登山クラブの方は、長続きしなかった。 なにしろ、社会人が主体なので、夜行、日帰りが主なパターンだった。 ある一日を書いてみる。 
 
 夜10時、上野駅集合、夜汽車で数時間仮眠をとり、真夜中に目的地に着く。 それから歩いて10数分、大きな川原に出た。 月明かりの下、テント設営の訓練を受ける。散々苦労して出来あがったテントの中で、朝まで就寝。
 5時頃、空が白むのと同時に起きて各自用意した朝食を食べる。 それから出発の準備。
 それぞれのリュックの重量が測られ、男性は30kg、女性は20kgに調整される。
私のリュックは軽すぎたので、川原の石を5、6個入れられる。 そして出発。
 私はそのリュックを背負って立ち上がろうとした。 でも、びくともしなかった。いくらがんばっても同じだった。 見かねて他の人が、リュックを持ち上げてくれて、私はどうやら二本の足で立った。少し腰を曲げて何とか重心をとった。
 それから数十分、登山口までの道のりが、長く長く感じられた。 私はロボットのように、機械的に足を前に運んだ。 

 登山口から道は急に登り坂になり、背中の重量が、一気に増加したように感じられた。 数十分で、私はもう一歩も前に進めなくなった。
 リーダーが来て、黙々と石を2、3個出して道端に置いた。 少し気を取りなおして、しばらく歩きつづけた。 でも私には、やはり無理だった。 貧血気味になり、頭がボーとして、目眩がした。 
 今度もリーダーは、私のリュックから石を取り出した。 しかも折角ここまで運んできた石を全部取り出した。 それ以後は、何とか皆と同じペースで歩き通し、その日の行程をすべて無事終了した。 ただ私には、二度とそれと同じ様な行動を繰り返す気力が残っていなかった。

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