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2005/02/11

K先生のこと    ( 4-2 )

 K先生との最初の出会いは最悪だった。 中国語の主任教授というので、ひそかな期待と好奇心で、私はその最初の授業にのぞんだ。 始業時間をかなり過ぎた頃、教室に入って来たのは、どこか柳家金五楼を思わせる風貌だが、もっとギラついた、ドロ臭いおやじ風の、小柄な男だった。 その日、何をK先生が言ったかは憶えていない。 ただその後のK先生の授業は、私の失望を増すだけだった。 K先生は“漢文”をこき下ろした。 西洋文明、特に日本の知識人に影響の強かったドイツ観念論を罵倒した。 最後に鉾先は、私達自身に及んだ。
 「東大生は頭でっかちでだめだ」

 先生は、それまで私が何となく価値を認めていた物に、次から次へと容赦ない攻撃を加えてきた。 一体この先生は何なのだ。 こんなに中国語を学びたいと思っている学生に早く中国語を教えてくれればいいのに。 先生の授業は時として一行の文章、時としては一語の解釈で終ることもあった。 出席するだけ時間の無駄だ。 だんだん出席する学生も減ってきた。
 それに気がついた先生は、勉強する気のない男子学生を引きつけると先生が信じていた最後の手段を持ち出した。 きっと先生の長年の経験から得た知恵だったと思う。
 それは、話しを脇道にそらし、しばしばエロチックな方面に広げることだった。 まるで女子学生のいるのをすっかり忘れてしまっているようだった。 私は時に耳を手で覆い、時々教室を出て行きたいと思った。

私は当時、極めて真面目な学生だった。 小学校以来、授業をサボるなんて考えたことがなかった。 私は時々惨めになる気持ちをこらえて、先生の話を理解しようと勉めた。
 慣れるにつれて、先生の奇異な外観は気にならなくなった。 先生の言葉のことさら挑発的な響きは耳をささなくなった。 その内に、私は先生のいわんとしている事が、この間、何となく私の中で生まれ育っている“何か”と驚くほど似ていると気がついた。
 “物事はすべて事実から始まる”
 “学問は事実の体系化であってこそ意味がある”

 日本における中国語は長い間、“漢文”というワクの中に閉じ込められていた。
 先生がある時言った。
 「O女子大のある先生は、“君子曰く女子と小人は養いがたし”と大真面目で女子学生に講義しているんだよ。 山川君はそれでいいのかね」
 漢文で扱う教材は、中国の支配層の教養に限られ、たまに首を出す庶民も、高所からの憐憫の対象でしかなかった。 感性も観念化し、形而上学的理解が尊ばれた。 この点に関しては、本郷に進学した頃お世話になった、T先生も同じ危惧を抱いていた。

 T先生は漢字の持つ、きわめて具体的な側面に私達の目を向けさせようとした。
 ある日の授業で先生は、
 「“鶏口となるとも、牛後となるなかれ”の意味が解るか」
と私達に聞いた。 何を今更という顔で、皆黙って先生の方を見ていた。 先生は重ねて聞いた。
 「鶏口はニワトリの口だな。 じゃ“牛後”とは何か…・」
 私は一瞬いやな予感がした。
「牛後とは牛の肛門だ。このリアルな表現が中国語の持つ面白さだ。それなのに、今までの学校では“牛後”で済ましている。 それ以上は深入りしないで、分かったような顔をしている」

私も以前この格言に接した時、牛後とは牛のシッポの事かなと勝手に納得して、それ以上考えた事がなかった。 これに関連して思い出すのは、最近中国に久しぶりに行き、杭州を訪ねた時の事だ。

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