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2005/02/21

那須合宿     ( 4-5 )

 K先生は毎年夏休み那須合宿というのを行なっていた。 出るも出ないも自由だけど、出ない人には前期の単位をあげる保証はないという、半ば強制的なものだった。 私はもともと山が好きだったし、その電気もガスもない山の中の三斗小屋温泉での生活にわくわくしていた。 米、ミソから始まって、野菜、飲み物など、当地での必要品は、全部皆で手分けして運んだ。 山道は結構険しかったけれど、山登りに慣れていた私は、先頭グループで山小屋に着いた。
もっとも私は、自分の荷物だけで良く、男子学生は、米とか食料を分けて運ぶというハンデイはあったが。

 K先生は刺激のある都会、即ち“俗世間”から離れたところで、学生達に自分の考えを理解してもらおうと目ろんでいるようだった。
 しかし多くの学生は、午前中のK先生の授業中は、アクビをしたり、居眠りをしたりした。度胸のある人は、抜け出して、近所の山の探索に出かけたりした。 何しろ回りは深い山だった。 私もしばしば、脱出の誘惑にかられた。 そんな私の心を見透かしてか、先生はしばしば私に質問をぶつけて、脱出の機会を封じた。

 昼食は当番学生の作ったメニューを食べた。 何を食べたか覚えていないが、健啖家の私には、とてもおいしく感じられた。 この食事当番は、K先生の講義に出席しなくていいので、皆に結構人気があった。 他大学の女子学生も招待していたので、私は彼女たちとおしゃべりするのも楽しみだった。

 午後の時間は、駒場祭に上演する劇の翻訳に当てられていた。 入学して間もない頃、この話は上級生から聞かされていた。 自分達で一つの脚本を選び、それを翻訳して、駒場祭で上演しろという話だった。 上級生も手伝ってくれるという事だったが、私達には気の遠くなるような話だった。 合宿前に、何とか一冊に絞ってあった脚本を何等分かにして、いくつかのグループ毎に責任を持って訳さなくてはいけない。
 私達は、辞書を片手に一語一語訳していった。 “解体新書”の翻訳もかくやと思われるほど遅々とした進行状況であった。 それでも何となく筋が浮かび上がり、全体で持ち寄り、一貫したストーリーが見えてきた。

 そんな合宿も、瞬く間に一週間過ぎ、最後の日は那須縦走のスケジュールが組込まれていた。 東大の学生、特に文学部の学生には体のひ弱な人も結構いた。 そんな学生がフウフウへばっている中、私は那須岳の山並みを楽しんだ。
 この那須合宿は、その後何回か参加した。 二回目以降は、上級生として下級生の面倒を見る役だった。

 何回目の合宿でだったか忘れたが、この山歩きの途中、山頂付近で大雨に遭った。 用意してあったヤッケをかぶり、私達はほうほうの体で下山した。 雷も遠く近く鳴り響いていた。 駅の近くには、公営温泉があり、そこでびしょ濡れになった洋服を着替えサッパリとした。次の年だったか、その山頂付近に落雷があり、死者が出たと新聞に出ていた。 ヒヤッとした。

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