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2005/03/09

父の失業     ( 4-12 )

 私が東大に入学して一年ほど経った頃、父が失業した。 当時国家公務員は、かなり若年で退職し、以後 “天下り” して生活するのが普通だった。 
 「この若年退職という慣行が、日本の官僚制度を老害から守ってきた秘訣だ」
 かつて父の友人である高山さんから聞いたことがある。

 しかし、この “天下り” は昨今言われているほど、すべての公務員に保証されているわけではなかった。 特に父のように、母に言わせると「人に頭を下げるのが苦手」な人種にとっては、なかなか大変な事で、しばしば失業という憂き目を見た。
 母はこの苦境の中、保険外交員を始めた。 日曜ごとに行っていた教会の友人に勧められたらしい。 外交員といっても、母のようなズブの素人の“奥様”にはなかなか大変だったみたいだ。 だから実際には、母の知り合いをベテランの人に紹介し、その人が説明、勧誘するというものだったようだ。 

 時には仕事がうまく行って、うれしそうに私達に話すこともあった。
 「今日は、昔の知り合いが会社ごと入ってくれたのよ」
 母は毎日出かけ、疲れていたので、当時の食事の片づけと洗濯は、私が引き受けていたと思う。 私は母に感謝していた。

 そんな折り、下の姉が遊びに行っていた、おじの家から帰るなり言った。
 「おじさんがね、人の情実を利用して契約を取る、今の保険業界のやり方は賛成できないね、だって」
 当時は“社会主義的言説”は、なんとなく光って見えた。 ソ連や朝鮮も輝きを持って語られ、その国の民謡を歌うことは、何となく晴れがましい感じがした。

 そんな中、おじさんの“進歩的”言辞は姉にとって大きな影響力を持っていた。 私も姉を通して、おじさんには尊敬の念を抱いていた。
 でもこの、母を間接的にせよ、批判しているおじの意見に、私は反発を感じた。
 「お母さんは、私達のために慣れない仕事をがんばってくれている」
 私は母を誇らしく思った。

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