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2005/03/14

中国文学科進学 ( 4-14 )

 二年の後期になると、自分の志望する学科を決めた。 私は将来、駒場でK先生を助け、中国語の教育に尽力するのが目標となっていた。 そのためには中国語も中国文学も、学ばなければならない事は山ほどあった。 本郷からT先生やM先生が、出講という型で教えに来た。 T先生は、漢字の研究家として著名であり、M先生は中国文学一般の碩学ということだった。

 いつだったか忘れたが、K先生に聞かれた事がある。
 「T先生は当時の徴兵試験で、日本の戦争目的に疑問を呈して、軍部の怒りを買い、一兵卒として派遣された。 M先生は自分の立場を受け入れ、下士官として戦地に赴いた。 当時は一兵卒として戦うより、下士官として行く方が戦死する確率は、はるかに高かったんだ。 山川君はどっちが男らしいと思うかい」

 私は返答に困った。 戦時中、自分の主張、反戦思想を表明する事がどんなに勇気のいることか、私なりに想像出来た。  それに対してK先生の言葉は、M先生への評価を私の中で、少々引き上げるものだった。それにしても、このような過酷な選択を若者に迫った戦争へ、日本はなぜ突き進んでしまったのだろう。
 
 本郷に進学すると、T先生、M先生の他にも色々な個性豊かな先生の授業に接する事が出来た。 中国人のL先生の軽妙洒脱な講義に一時的に夢中になったり、D先生の新中国文学への新鮮な切込みに共感を感じたり…。
知的好奇心を、私はますます募らせ、研究室の本を読みふけり、神保町の本屋に足繁く通った。
 
 そんな私に、医学部ストの話は遠い存在だった。 今まで、校門を入ると立ち並ぶ立看も、何人もの人から手渡されるビラも、私には大して意味のないものだった。
 私は象牙の塔の中で、さなぎになろうとしていた。 いつか羽化して蝶になった時、すなわち社会的にひとかどの人物になった時に、教育についてであれ、政治的発言であれ、自分の意見を発表すればいいと思っていた。 それまで私は、学問に打ち込むのだ。
yasudakoudou-1

( 1971年 東大卒業アルバムより。 以下出所無記載の画像は同書より借用 )

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