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2005/03/07

大樹と広尾   ( 4-11 )

 次に大樹町に行った。 ここは数年前、冷害で小豆が壊滅的被害を受けた所だった。 それを新聞で見た母が、救援物資を送ったことがあり、その縁で何回か手紙のやりとりをしていた農家があった。 私が北海道旅行を思い立ったときも「是非寄れ」と言ってくれていた。 大樹の駅から車で一時間くらい行った、日高山脈の麓の農家で、私は数日間農作業を手伝った。 干し草を車に積んだり、牛の乳搾りをしたり、麦の刈り入れをしたりと、私は汗まみれになりながらも大満足だった。 これが労働というものだと思った。

 食事はボリューム満点だった。 どんぶりご飯にうどんがおかず。デザートにお汁粉がでた。 秋の刈り入れの時には、昼食のおにぎりはどんぶり二杯を合わせて作ると聞いて、私の頭の中にはドッジボールの様なおにぎりが浮かんだ。
 なにしろ皆良く食べた。 そこは日高の山麓なので、クマも良く出没するらしく、数日前荒らされたというエン麦畑も見せてくれた。

 数日の間、充分農村生活を満喫した後、私は迎えにきてくれた母の知り合いの農家のおじさんのオートバイの後ろに乗り、小豆被害に遭ったという開拓地に向かった。山中を一時間くらい走り続けて、日高山地の尾根沿いの開拓農場に到着した。
 ここは、千島諸島から引き上げてきた人が入植したとの事だが、数年前の小豆の冷害の時には、首をくくった人が何人も出たと淡々と話してくれた。 一時は“赤いダイヤ”ともてはやされ、皆小豆作りに切り替えた矢先のことだったという。 今では離農した人も多く、おじさん自身、先の見通しがつくなら離農したいと話していた。

 その次ぎに行った広尾町では、汽車で隣に座って話を交わしたおじさんの牧場に案内してもらった。 根室に行く途中だったので、名刺だけもらい、帰りに寄ると約束していたのだ。 
 駅を降りて、電話をすると、小型トラックで迎えに来てくれた。 終戦後、樺太から引き上げてきて、未開の原野に入植した。 星の見える早朝から星の瞬く夜中まで、夢中で働き続け、今の牧場を作り上げたという。
 それでも、息子と娘は牧場に興味を示してくれないので、自分の代で終わるかもしれないと寂しそうだった。

 広尾を後に、国鉄バスに乗って襟裳岬に向かった。 補助席も満席の混み具合だった。 私が更に驚いたのは、私が見る限り、乗降客はすべて周遊券のお客さんだった。 当時、私のようなリュックを背に周遊券を持った学生の旅行姿は、夏休みともなると全国各地にあふれていた。

    ( リンクはイメージ映像として張らせていただきました)
 

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