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2005/03/23

全共闘の成立 ( 4-18 )

 7月2日には、全学の統一意志決定機関として、“東大闘争全学共闘会議” (全共闘 ) が結成された。 大学院生と青医連による“全闘連”も加わり、時計台は再び封鎖された。 それは大学当局の強権に対する封鎖であったが、私達にとっては“解放”だった。 時計台は私達学生に解放された。

 私達の意見は、学部として、学科として多くのビラや立看に表現された。 
 この時期、連日のようにクラス討論が行われた。 私達は、討論にしばしば時間を忘れ、遅い昼食をとりに学外に出た。 構内に帰ってくるとき、正門を通る毎に、私は軽い興奮につつまれた。 銀杏並木には、ずっと講堂前まで、数メートルごとに、大小様々な立て看が並んでいた。 立て看の前には、三々五々人が集まり、そこここに、討論の輪が出来ている。

 立て看の外観、内容とも、それぞれ個性的で、以前のセクトのアジ調の文章とは違っていた。 学生達の主張が、生き生きと伝わってきた。 ビラの数も驚異的に増えていた。 教室に着く頃には、両手いっぱいになり、それらに目を通すのも楽しかった。 個々人の率直な主張が、紙面に脈打っていた。 私達は、皆競って自分達の主張を、何らかの形で発信したがっていた。

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 銀杏並木は信じられないほど、生き生きとしていた。 それぞれの主張は、集まり、大きな流れとなり、時計台へと集約していった。 強い夏の日差しも、銀杏の濃い緑の葉が、幾重にも重なり、遮って、涼しい樹影をつくり出してくれていた。
 「封鎖!それは連帯のしるし。時計台封鎖を全学バリケード・ストライキの突破口とせよ」 (全闘連)
 
 7月5日、講堂内で全学集会が開かれ、総長と教授会に大衆団交を要求することを決めた。 その後、7月15日、全共闘代表者会議で “七項目要求” が起草された。

   一、医学部処分撤回。
   二、機動隊導入を自己批判し、表明を撤回せよ。
   三、青医連を公認し、当局との協約団体として認めよ。
   四、文学部不当処分撤回。
   五、一切の捜査協力を拒否せよ。
   六、1月29日より全学の事態に関する一切の処分は行うな。
   七、以上を大衆団交の場に於いて文章をもって確約し、責任者は責任をとって辞職せよ。

  我々は以上の要求を確認し、本部封鎖に結集して全学無期限スト、全学封鎖で闘い抜くことを宣言する。

              七月十六日   東大闘争全学共闘会議
 バリケード
bari 大学側は無視の態度をとり続けた。
 7月に入ると教養学部のEクラスでは、例年通り那須合宿が行われた。 毎年、上級生は、あるいは劇の脚本の翻訳の手伝いに、あるいは中国関係の色々な問題についてのチューターとしてゼミを指導した。 しかし、この年の那須合宿では、私達上級生には、もう一つの任務が増えた。 ともすれば“本郷”の問題として、東大闘争に関して、駒場の学生の関心はそう高くなかった。 この際、医学部問題から見えてきた、東大の体質を駒場の学生にもじっくりと考えて欲しかった。

 私達の中文からも何人か参加した。 例年の那須合宿はレクリエーション的意味合いも濃く、単純に楽しかった。でもこの年、私達は真剣に話し合った。 私達が東大生としての存在の意義についても、厳しく自己点検をせまられた。 昨年までは何のこだわりもなく話してきた民青系の人達と、何となくちぐはぐな隔たりを感じ始めていた。 民青系の人達は、東大闘争を従来の彼ら達のやり方の延長で、条件闘争ととらえていた。 この際、大学から、一つ二つ大学自治の言質をとれば十分だと考えているように見えた。

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