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2005/04/06

K総長代行の登場 (4-24)

 11月、O総長の辞任を受け、大学側は新執行部を選出し、法学部のK教授が総長代行となっていた。 12月始めに代行からの提案がなされた。 医学部処分の誤りを認め、機動隊導入を反省した内容だった。 もし、これが6月の段階で出されていたら東大闘争は終結していただろう。 しかし、その後の大学当局の対応の中から、私達は医学部独自の問題と思われていたことが、実は、東大全体の体質に根ざしたものであることを知り始めていた。 東大は“真理の追究、学問の府”ではなく、権威にしがみついた、学生の抑圧機関の姿を現してきていた。

 自分たちの権威を守るためなら何でもする。場合によっては外部勢力を導入してでも。 その上、K代行の提案は私達学生の心情を何ら理解していなかった。 医学部問題はさすがに過ちを認めたが、文学部処分問題は正当として、その後文学部で起きたH学部長との長期団交についての二次処分の可能性をにおわせていた。 これは文学部と他学部との分断を意図しているように見えた。

 また、早く授業再開をしなければ留年もやむを得ないと “一般学生” をあせらせていた。 これは “闘う学生” と “一般学生” の分断をねらっていた。
 これは経営者が労働者に対して画策するスト分断工作と余り変わらないように見えた。
K代行は、教育者としてではなく、経営者として学生の前に現れた。

 しかしK代行提案は、大学側の期待を裏切らなかった。 “一般学生” の中にはストを終結し、早くこんな大学とおさらばしたいという雰囲気も濃厚になってきた。  教養学部では、本郷のストのおつきあいに疲れ、“紛争の収拾” の流れに乗る動きも強まりだした。 12月25日、法学部の学生大会、続く26日、経済学部でスト解除が可決された。

 こんなやり切れなさが充満していた時期に、もっとやり切れない事件が起きた。
 12月10日前後、駒場教養学部に、セクト間の主導権争い “内ゲバ” が持ち込まれた。
双方かなりの負傷者が出たらしかった。 そしてその中にDさんも含まれていた。
 DさんはEクラスの後輩で那須合宿でも、真面目で、真剣に東大闘争について考えていた。 そのDさんが、激突のさなか、二階から足を踏み外し、下のコンクリートにたたきつけられ脊髄損傷したという。
 「もう一生、車イスだろう」
 Dさんを知る中文の人達が、顔を曇らせて話していた。 私は胸をえぐられる感じがした。 やり切れなかった。
 ああ、何で大学当局は、この間の一連の自分たちの非を認め、権威に基づかない、信頼と理性に基づいた大学の再生を宣言してくれないのだろう。

 この後に続く1ヶ月間、私達は “政治的” な世界に翻弄された。 大学入試をちらつかせながら “東大紛争” をつぶそうとする政府、何とか “紛争” を収拾して入試を行いたい大学当局。 “一般学生” の声を代弁することで、東大における影響力回復を図る代々木系勢力とその主動部隊民青。
 私達の戦いは、それら巨大勢力の前に踏みつぶされ、抹殺されようとしていた。

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コメント

 yamamotoさん。
 いつも思うのですが、文章を書くって、やはり読んでくれる人がいて、言いたいことを理解してくれて、それに反応してくれる人がいるというのが一番励みになりますね。  謝謝!

投稿: あきこ | 2005/04/07 18:59

こんにちわ、
会社の端末から書き込んでいます。
ブログや掲示板はHTMLのページと違って、どのパソコンからでも書き込みが出来る点がよいですね

akikoさんの以前のホームページからブログの今まで、昨晩ゆっくり読まさせていただきました。
幼少の頃の広島の思い出、心痛む満州の話、東大へ進まれアルバイトに励まれたお話。
そして私たちと時代が少しダブる1968年まで。
セピア色の写真はまるで我が家の写真帳と同じ、昭和の良き時代が写っています。
一気に読みました。
広島の幼少の頃のお話を読み進むうちに、姉・兄と同世代の方の懐かしい話題に心が和みました。
私の家族は、地方公務員で大正元年生れの父と母、昭和16年生れの姉、19年生れの兄、25年生れの妹が居ました。
乳飲み子の時は、姉の子守でおんぶされ、おしめを代えてもらったらしいです。
どこへ行くにも兄のスボンの裾にしっかり掴まり山野や海浜を駆け巡った記憶も蘇ってきました。

満州のお話は、正直言って読むのが辛かったです。
でも、戦争の本当の姿、その悲惨さを知るには誰かが伝えなければならない事だとおもいます。
akikoさんも経験されていますが、インターネットではそれはひどい書き込みがされます。
仲間と昨年共同開設したイラク関連ブログには、一晩で100件を超える誹謗中傷の書き込みが数日つづきました。
削除しても削除しても、4~5分で次々と書き込まれる中傷。
コメント禁止設定に変更しましたが、その経験が足を引っ張って、個人のブログをやることを躊躇させている次第です。
今のところ、日々の思いの綴りは、自分のホームページの管理人日記にHTMLページで書き足しています。
家族のことや姉のこと、亡き父母・兄のことも極めてプライベートに綴り続けて1年半、我ながらよく続いていると思います。
日々、綴っていくことは結構なパワーが要りますが、書く事って楽しいですよね。

次の記事は1968年から、そろそろ1969年になりますね。
私のホームページは1968年で止まったままですが、今後を期待しております。
記事に関係ない、取りとめも無い書き込みで申し訳ありません。
職場より。

投稿: yamamoto | 2005/04/07 15:56

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