« 救対       ( 4-28 ) | トップページ | 菊屋橋101号  ( 4-30 ) »

2005/04/22

戦いは続いた  ( 4-29 )

 

大学構内はその頃、妙によそよそしかった。 中文研究室も櫛の歯が欠けたようだった。 講堂に残った人達はいつ保釈されるか解らなかった。

何人かは救対の活動で忙殺されていた。 2月の中旬、中文のT教授が東大執行部を批判し、全共闘支持を表明してくれたが、文学部教授会を動かすことも出来ず、先生自ら東大を去っていった。 T先生は先の日中戦争の時も、日本の中国に対する戦争の正当性に疑問をぶつけ、一兵卒として激戦地へ送られたというエピソードがあり、私達の間では尊敬されていた。

東大闘争に対し、今度は司法まで弾圧してきていた。 分離裁判を受け入れた学生は比較的早く保釈されたが、東大闘争全体の中での講堂に残った意義を主張して、統一裁判を要求した学生に対し、長期拘留という手段を使ってきた。 それは、権力に屈服を迫るやり方だった。 精神的奴隷化を強要していたのだ。

その頃、“ 東大闘争獄中書簡集 ” というパンフレット状の刊行物が作られていた。獄中の学生が獄外の友人、家族に宛てた手紙を幾つかずつ載せていた。

獄中の人は、私達の突き詰めた理念を、純粋に守り続けて獄中にいた。 私達は外で様々な雑事の中、消耗し、風化し続けていた。 その格差に慄然とすることもあった。このパンフは意外と好評で、中文研究室でも欲しい人に売っていた。 よその学部からわざわざ買いに来る人もいた。 他大学の学生も買いに来た。


1969.9.5全国全共闘連合結成大会 共闘グラフィティ 


zenkokuzenkyoutou

何回か買いに来ていたので、顔見知りだったK大のAさんがある時、憮然として言った。    「 ○○の集会の時だけど、後ろを取り囲んでいる機動隊員にひどいこと言われたのよ 」 

 「 なんて言われたの 」

 彼女は口にするのをしばしためらった後、吐き捨てるように言った。

 「 私の顔を見て、“ 公衆便所 ”ていうのよ 」 

 「 ひどいわね 」

 私は言いながら、その頃の公衆便所の汚さを思い浮かべていた。 駅や公園のそれは、悪臭に満ち、汚物があふれ、壁は卑わいな落書きで埋まっていた。

 私は機動隊が彼女に対し、ひどく汚い言葉、例えば “ クソッタレ ” と言ったと同様の響きで、この言葉をAさんにぶつけたのかと思った。 場合によっては、バラだ、百合だ、野菊だ、と例えられてもいい若き女性に対する言葉とは思えなかった。

私の反応がAさんの期待している程でなかったので、Aさんは更に言葉を続けた。

「 この言葉には、口では言えないような侮蔑的な意味がこめられているのよ 」

しかし、私がその言葉の本意を理解するには、その後、かなりの時間が必要だった。


70年安保闘争 全共闘グラフィティ


jidainokishu

 機動隊の学生に対する暴力は、精神的面にとどまらなかった。 その後、学外デモや集会で、機動隊は学生に至るところで襲いかかった。 編み上げ靴で蹴飛ばし、警棒で殴りつけ、ジュラルミンの盾で押し倒した。 けが人が激増し、逮捕者は拘置所の収容能力をはるかに超えた。 もし物理的制約が無かったなら、少しでも自分の意志を表現しようとする学生一人残らず、刑務所にぶち込むのが、警備当局の目標のように思えた。

|

« 救対       ( 4-28 ) | トップページ | 菊屋橋101号  ( 4-30 ) »

コメント

 藪さん。返事遅れてしまいました。
一昨日の朝、インターネットに接続しようとした数分後から、私のパソコンライフはフリーズしてしまいました。夕方になりウィルスバスターの障害のためと判り、翌日夜になって、なんとか息子の手を借りて、復旧しました。
 この二日間色々考えさせられました。まず私の生活にインターネットがいつの間にか必要不可欠になっていたこと。しかしインターネットはまだまだ、発展途上の技術体系であることなどです。

 “獄中書簡集”創刊号にこうあります。
 <何故「獄中書簡」をか?>
権力の厚い壁を越えて、「人間」の生々しい情念を我々に伝える手段はこれしかないのだ。したがって、獄中の人間と娑婆の人間との間に人間的な連帯を全社会的に作りあげ、更にこれを媒介にして獄中の人間相互の間に人間的なコミュニケーションを回復するためには、「これ」を使う以外に道はない。
 
 当時、書簡集から発せられる言葉の数々は、私にとって重過ぎました。心臓に直接響きました。今読んでみても言葉の持つ力は少しも変わっていないのに驚きます。

投稿: あきこ | 2005/04/25 09:23

初めまして、。薮と申します。

“ 東大闘争獄中書簡集 ”
第二号 四月二十七日発行
体制はゴジされたぞ 
朕(加藤)はたらふく食ってるぞ
匪賊共闘はムショで死ね
ギョメイギョジ

・・・・・

第十四号 七月十八日発行
右手にマガジン
左手にマルクス
心に革命
全身に皮下脂肪

・・・・・

第二一号 九月十三日発行
行為という行為が奪われているので
いきおいデレッタントな沼に
はまりやすい
この沼の底には
感傷という不意打ちが
待ちかまえているから
気をつけなくてはいけない

表紙の一言から、抜書きしました。
第二号から二十一号まで手元にあります。
ホチキスの針は真っ赤。ポキンと折れそうです。

投稿: 薮 | 2005/04/22 20:54

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 戦いは続いた  ( 4-29 ):

« 救対       ( 4-28 ) | トップページ | 菊屋橋101号  ( 4-30 ) »