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2005/04/25

菊屋橋101号  ( 4-30 )

この時期、私達の間で菊屋橋101号という呼称が口コミで流布していた。

当時の司法当局は、東大闘争の本質を問うことなく、個々の刑事事件として、分割し処理する方針で学生に臨んできた。 それに対し、全共闘は “ 完黙 ” という戦術を編みだしていた。 その為、この頃の逮捕者は、皆、収容された刑務所名と部屋番号で呼ばれていた。 その中でも菊屋橋101号の存在は、一番目立っていた。 というより、次々と名前を名乗り保釈されていった中で、その人は最後まで完黙を通し、自分が一番最後に保釈される事を選んだ。

私の心の中で “ 菊屋橋101号 ” という名前は夜空の北極星の様に輝いていた。        

その人は理系の大学院生ということだった。 その人は、東大闘争の理念を身を持って守ろうとしたことにより収監され、“ 改心の情 ” が見られないという事で、裁判を受けることなく7ヶ月余り刑務所から保釈されなかった。

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