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2005/04/15

救対       ( 4-28 )

その後、中文でも急きょできた救対(救援対策部)を通じ、逮捕された学生の現状が次々と知らされた。 目を催涙ガス弾で打ち抜かれた人は、失明をまぬがれそうもない。体中に催涙液を浴びた多くの学生が、全身火膨れ状態で、ベッドに体を横たえるのもつらいそうだ。 逮捕時の機動隊の暴行により、大多数が体中何らかの傷を負っている。

 私の心はこれまでにも、もう十分切り裂かれ、ズタズタになっていた。 これら逮捕者の惨状を聞いても、何ら反応を示すことなく、ただ救対に言われたノルマをこなしていった。 街頭カンパ、週に何回かの差し入れ、差し入れ用の弁当作り、…。

 ある時、新宿で街頭カンパを集めていた。 “ ガンバッテ下さいね ”

 頭を上げると、そこには家の近所の人の顔があった。 

私はその後、中文学生会の第二代会長に選ばれた。 後で、その時私を推薦したTさんに

「 何であの時、私を推薦したの 」 と聞くと、「 あの時、山川さん、日和見しそうだったので、それを防ぐためさ 」

私は、T さんが私を全然理解していないのに腹が立った。 私は皆が一番大変なときに、自分だけ戦線離脱するような人間じゃない。 

会長になったからといって、変わることは何もなかった。 ただ、自分としてはもし何かがあったら、退学処分を真っ先に受けるかもしれないという覚悟はあった。私は何回か、文学部の学生大会でマイクを持ち、中文学科としての意見を言った。


全共闘グラフィティ

nishiguti 学科としてのアピール原稿を書いたりもした。 人前で話すのに度胸がついたせいか、西口地下街いっぱいに拡がっていた反戦集会で、飛び入りでマイクを握り、意見を言ったこともあった。

実に色々なことがあった。 その頃、私は日記をつけていた。 人名は万一の事を考え頭文字で記した。 それも中国式発音のアルファベットを使うなど、神経を使った。 その日記でさえも、もっと後になるが、庭で燃やしてしまった。

“ 集団謀議 ”の証拠にでもされたら大変だと思ったからだ。 それくらい、私達はピリピリしていた。

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実際、嫌な事もいくつかあった。 ある日、道を歩いていた。 ずっと人の気配を後ろに感じていた。 余り気にとめていなかったが、急に忘れ物に気づき、振り返った。 その時、一人の男と顔が合った。 目の鋭いその男は 「 しまった 」 という様な顔をして、さっと向きを変えると人混みにまぎれこんだ。

「 尾行されている 」 と私は直感した。

また、ある夜のことだ。 その日はバイトだったので、私の帰りはいつもより遅かった。 家の前に着き、私が門を入ろうとしたその瞬間、物陰から一人の男が飛び出してきた。 その男は、私の後ろから首を片腕で締め付けた。 私は一瞬、息が止まりそうになった。 「 人殺し!」 叫ぼうと思ったが、声が出なかった。 腕を振りほどこうとしたが、体が膠着して動かなかった。 一瞬の後、私は気を取り直し、体中の力を出してもがいた。

その時、男は腕を放し、闇の中に駆け出して消えた。 私はしばらく呆然とそこに立っていた。 何が起こったのか理解できなかった。

次の瞬間、私は男の駆け去った方角を目で追った。 何の目的でそんなことをしたのか詰問したかった。 だが、その時、男の影は既に消えていた。

私は玄関の前で、少し乱れた上着を直し、息を整えた。 この事は、絶対に父母に知らせてはいけない。 父母に、これ以上の心配をかけてはいけないと思った。

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