« 2.28事件  ( 4-34 ) | トップページ | 上海      ( 4-36 ) »

2005/05/13

新中国     ( 4-35 )

そんな予備知識を持っていたので、私は香港から深圳に行く国境で、初めて中国人民解放軍を見たときには心が躍った。 真紅の襟章、帽子につけられた赤い星の徽章、それは書物で見た紅軍の制服そのままであった。 いよいよ、新しい中国に入るのだ。

当時の深圳は、いかにも田舎だった。 水田が続き、レンガで造られた農家が点在していた。 宿舎には竹林があり、竹の子が群生していた。


紅衛兵     koueihei 私達は行く先々で、紅衛兵や、紅小兵の歓迎を受けた。 彼等は皆、胸に毛沢東バッジを付け、手には毛語録を持っていた。 皆、明るく、親切だった。

中国に来る前、私は実は一つ心配事があった。 それは、旅行社から出発間近になって告げられた事だった。 

「中国では、トイレに囲いがありません」

私はこの事を聞いて以来、数回、夢でうなされた。 トイレに行こうとしても、どこも皆、人だかりがして、しかも囲いがない。 次々と違うトイレを探し回るが、人気のないトイレを探せないという様な内容だった。

でも郷に入れば、郷に従え。 行ってしまえば、それなりに適応できた。

その代わり、中国では行水するときでも個室であるという習慣にかえって驚いた。 井岡山に行く途中、宿泊したところは、本当に田舎だったので、シャワーもなく、私達はたらいにお湯を張って行水した。 その時でも、しっかり周囲は板で囲まれた個室になっていた。

                                                     nouson

 井岡山は、中国紅軍の生まれた場所である。 当時圧倒的に優勢な国民党軍を何度も跳ね返したという事から、私は難攻不落の山城のイメージを持っていた。 が、実際は全然違っていた。 二日間、私達は田舎道をバスに揺られた。

行けども行けども、のどかな農村風景が続いていた。

kodomo 山腹の斜面には、段々畑が連なり、平坦地では比較的小さく区分けされた水田が続き、池があり、レンガ造りのの農家が点在する。 子供達は、日本人を珍しがって周りに集まってくる。 到着地では、夕食時によくレセプションが開かれた。 私達もお礼に何か出し物を用意した。 私達の班では、最初の頃は、次のような歌を歌った。

生まれたときが悪いのか、それとも俺が悪いのか…”

その頃の私達の気持ちにぴったりしていた。        

                                                     tanada         
   しかし、旅行の中頃から、私達は “大海航行…”  “東方紅…” を中国の紅衛兵と一緒に歌っていた。 中国の若者達の気持ちが私達にも伝わってきていた。 私達の心も明るくなっていた。

食事について言えば、私達は最初から最後まで、心のこもった、中国料理の精華を食べさせてもらったような気がする。 初めの頃は、一皿出るごとに、皆、目を輝かせ、回転して皿が自分の前に回ってくるのがもどかしかった。 次から次へと出される料理を全部食べ尽くし、いつも満腹だった。 でも毎日の飽食で、少々疲れが出てきたのか、皆の食欲も落ちだした。 男子学生の中には、日本から持参したふりかけや梅干しを、お粥と一緒に食べるだけという人も現れた。

|

« 2.28事件  ( 4-34 ) | トップページ | 上海      ( 4-36 ) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新中国     ( 4-35 ):

« 2.28事件  ( 4-34 ) | トップページ | 上海      ( 4-36 ) »