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2005/05/06

中国革命    ( 4-33 )

中国は清朝末期、列強の侵略により、呻吟していた。 その中から、辛亥革命が起こり、1912年には中華民国が成立する。 しかし、軍事力に勝る軍閥に実権を奪われる。 この間の指導者孫文は国民党を組織して対抗する。 1921年上海で生まれた共産党と手を携え、北方に割拠していた軍閥政権の打倒に乗り出す。 その矢先、孫文は病没するが、北伐の歩みは力強く踏み出される。

中国統一を目前に控えた1927年、当時孫文なき後、軍事力を背景に国民党の主導権を握っていた蒋介石が突如、白色テロを断行し、革命的な労働者、大衆の大虐殺に乗り出した。

ある統計によれば、1928年~30年の3年間に60万人の命が奪われたという。

 
  労働者の内、少しでも闘争の経験を持つものは、八割までが殺されたり、工場を追われた。 革命の高揚期に労働者がたたかいとった経済上の利益や民主的な権利はすべて剥奪された。反動派は労働者の賃金を引き下げ、労働時間を再び11時間以上に延長し、更に休日をなくしたばかりか、工場には私服、巡査、軍隊を差し向けて労働者を監視した。    
「中国紅軍物語」より


その白色テロの嵐の中から、毛沢東、周恩来、朱徳などが、南方各地で武装蜂起して、井岡山で合流し、中国紅軍が誕生する。

            紅と赤について  ● 

ここで余談だが、中国における、紅と赤についての語感を述べてみたい。

 “紅” は中国においては喜びを表現する色である。 “紅事をなす” といえば結婚式などの目出度い行事をさす。 以前は花嫁さんと言えば文字通り “真紅” の衣装に身を包んだ。 今でも旧正月など、真紅の装飾に中国全体がおおわれる。

   “赤” はその点少し暗い色彩をイメージしている。 赤小豆(あずき)、赤血球などと使われている。 赤壁などもこの系列だろう。 また、赤貧、赤裸々などのように何も無いことを強調する時にも使用される。まじりけがないという意味が強調されて、赤心、赤誠などとも使われるのだろう。

さて本題に戻る。 中国の白色テロの中から生まれてきた紅軍とは、中国の人々にとって、喜びを持って迎えられた自分たちの軍隊だったのである。このような時期、日本は軍部主導で、満州国建国、華北への進軍と中国植民地化の歩みを進めていた。

蒋介石は、日本軍と妥協する一方で、国内の反対勢力一掃に狂奔する。

井岡山に四回にわたる包囲攻撃をかけ、第五回の包囲攻撃には、何と百万人の兵力を投入した。 1934年10月、蒋介石の包囲を脱して、紅軍は 長征 の途につく。

その翌年、1935年1月、毛沢東の指導が紅軍の中で確立する。

そしてその年の10月陝西省にたどりつき、延安を中心に中国革命の強固な根拠地を作っていく。 その間、11の省を通り、2万5千華里(12,500KM)を踏破した。 

 12ヶ月の間、空では毎日何十機という飛行機が偵察し、爆撃し、地上では何十万の大軍が包囲し、追撃し、行く手を遮り、途中では言葉で言い尽くすことの出来ない困難と障害に出会った。    毛沢東 「中国紅軍物語」より


この時期に、紅軍がピラカンサを食料にしたというエピソードを何かで読んだことがある。 小鳥に喜ばれる木の実だが、人間が食べて美味しそうには見えない。

その後、日本軍の侵略は中国内部に及び、抗日を求める運動が、中国全土に拡がったにもかかわらず、蒋介石は相変わらず紅軍の攻撃に勢力を集中するため、日本軍と妥協を続けた。 それに対し、国民党内部からも反対が強まり、西安事件が起こる。張学良が、西安で蒋介石を監禁し、反共内戦を止め、一致して抗日救国に向かうよう迫った。 1936年12月の事である。

ここに、十年にわたる内戦が終わり、中国は全力を挙げて、抗日戦に立ち上がった。それから更に8年余の闘いの後、1945年、日本の無条件降伏により、中国と日本の戦いは終わった。

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