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2005/05/16

上海      ( 4-36 )

友誼万歳

kangei そんな私達のために、上海では “冷や奴” が用意された。 皆、これには感激した。上海といえば水のまずさに閉口した。 ポットに “開水” といって一度沸騰させた水がいれてある。 そのまま飲むと、“どぶ水” もかくやというような味がした。

その時、私は中国で “茶” が発達した理由が解った様な気がした。

上海での見学地は、病院と学校と農場だった。 病院では “針麻酔” に代表されるように、中国医学と西洋医学の融合が試みられていた。 昔からの伝統技術の中からも良いものは積極的に取り入れ、また発展させていくという事だった。

 “赤脚医生”(裸足の医者)の話も紹介された。 中国の農村部では、未だ人々が裸足で生活している所も多く、そういう地域の医療活動を支える医者を、自前で養成するという制度だ。 

当時の中国では、医学校で学んだ若者は、都市部の大病院勤務を望み、農村のいたる所に “無医村” 状態が見られたらしい。 農村地域で普通に見られる、病気やけがを治療できる医者を大量に養成する必要に迫られていたという。

自分達の中から選んだ若者を、国の集中訓練施設に送り、終了後、また自分達の地域に戻って、医療活動に従事してもらうという制度だった。


 大学にて        
daigaku 学校教育でも、新しい試みがなされていた。 今までは “読書做 官” といって、勉強して出世するという考え方が支配的で、勉学環境に恵まれた一部の子弟によって大学が独占され、一般の民衆意識からかけ離れたエリート層養成機関となってしまっていた。 それを打破する試みとして、職場や農村からの推薦者を優先的に入学させるという事も行われていた。 私達の見学させてもらった教室では、髪の薄くなった人や、工事現場からそのまま来たような日焼けして、黒光りしている青年など、種々雑多な人が若い教師から学んでいた。

                                                     noujyou      
   農場見学では、広い試験農場を案内してもらった。 私には地味はやせているように見えた。 休憩時間に出してくれた梨も小ぶりで、味もおせじにも美味しいとは言えなかった。 でも案内途中、技術指導員が日差しを防ぐためにくれた麦わら帽子は、土と汗で汚れていたけれど、私の大事な記念品として今でも押入の奥に大切にしまってある。

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