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2005/06/13

鹿島コンビナート ( 4-41 )

 もう一つ、私の張りつめた緊張を解きほぐしてくれた要因がある。 それは二人のメイン通訳の存在だった。
その内の一人Sさんは、数年前、母親と共に中国から帰ってきた中国生まれ、中国育ちの日本人だった。

 Sさんにとって中国語はいわば、母国語だった。 その上、帰国後の数年間の必死の努力により、日本語の力は立派と言うほかなかった。 ただ、最初に日本語を習った先生が、東北なまりのあるドイツ人宣教師という事で、少々アクセントにおかしなところがあった。 しかし、訳語の正確さと、訳している内容の把握力に私はしばしば舌を巻いた。 私は、中国語を少し解る添乗員でいいという、自分の役割にやっと気がついた。 

 最初の視察地は鹿島コンビナートだった。 昼間の日程は、日本側技術者による説明、Sさん達の通訳、そして見学と続いた。 私も皆と同じヘルメットをかぶり、喜々として日本の工業の最先端を見て回った。 私には全く新しい世界だった。
 その夜、私は初めての大仕事の初日という事もあり、なかなか寝付けなかった。
 私はカーテンを開け、外に目をやった。 ホテルの窓からはコンビナート全景が見渡せた。 黒々と広がる鹿島灘を背景に、眼下に星空が広がっていた。 少なくとも一瞬私にはそう見えた。 それは、コンビナートに点在する光だった。 しかし、私にはハッとするくらい美しく見えた。

 二つ目の目的地は、青函トンネル工事現場だった。 しかし、私はこの日程から外された。「トンネル工事現場は、女人禁制なんでね」
 深谷さんの言葉に、私は一寸驚いた。 最先端の技術とトンネルの神様の共存はいかにもチグハグに見えたが、わざわざ神様を怒らせてまで、見学したいとも思わなかった。 これ以後の視察には、ずっと同行させてもらえた。

日中土木交流協会 会報第7.8号

 nagasaki
長崎、荒尾、津など、当時世界に冠たる日本の造船所は、活気に満ちていた。何十万トンという巨大タンカーの建設現場では、人はいかにも小さく見えた。 しかし、逆に私は人間の力の大きさを感じた。 私は物造りの凄さに圧倒された。

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