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2005/06/10

中国土木工程技術代表団  ( 4-40 )

 修士論文のテーマが決まり、資料集めに忙しく過ごしていた。 そんなある日、
 「僕の友人の深谷君が日中友好のプランを企画しているんだけど、手伝ってみないか」と父から言われた。 深谷さんは、日本と中国の友好促進のために、日中の土木技術者の交流を計画していた。 悠久の歴史と広大な国土の中で、数々の大土木工事の伝統を持つ中国。 万里の長城 、黄河の治水、南北をつなぐ大運河の建設、...。 解放後は、自力更生のシンボルとも言われる紅旗渠南京大橋などが知られていた。 日本もこの頃、 新幹線の開業、青函トンネルの建設と数々の大事業が押し進められていた。

 深谷さんは建設省OBであったため、各地に知り合いも多く、皆快くこの計画に協力してくれたという。 後で知ったことだが、深谷さんはこの計画にかかった全費用を、保有していたゴルフ会員権を売却することでまかなったという。 

最初、通訳として手伝ってくれないかという話だった。 私は斉了会で中国旅行に行ったとき、三週間余り、毎日中国語の中にいたので、かなり聞き取れるようになっていた。 しかし、話す機会は少なかった。 以前も日常会話を習ったことは殆ど無かった。 「ニイハオ!」がしゃべれて、短波から聞こえる毛沢東語録が聞き取れるというのが正直言って当時の私の会話能力だった。

 それでも私はこの機会を逃したくなかった。 直接、新中国から来た人と話せる機会は殆どなかった。 自分の中国語の練習のためにというのが、この仕事を引き受けた動機の半分を占めていた。


日中土木技術交流協会 会報第9号

daihyoudan 中国代表団の到着後、幾つかの歓迎レセプションがもたれた。 私も代表団と同じテーブルで食事をした。  そこで私は、全然代表団の人達の話が聞き取れないことが解り当惑した。 団員は、中国各地から選ばれて来ていた。 皆標準語を話していても、 各地のなまり   が強かった。 私はそれまで、ラジオの短波などでアナウンサーの声を聞いてヒヤリングの練習をしていた。

私には団員の言葉が別の国の言葉の様に聞こえた。

「どちらからいらっしゃいましたか」 

「ご家族は」 

「日本に来てどんな印象をお持ちですか」 等々のやりとりをなんとかかんとか苦労して交わしてしまうと、後は、

「どうぞ召し上がって下さい」

「とても美味しいです」の繰り返しだった。

でも、団員の方は皆、土木技術者特有の、率直で、大らかな人達の集まりなので、何となく楽しく、打ち解けた気分になれた。

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