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2005/08/30

ジェットコースター発進!続

その頃の日本は、好景気に沸きかえっていた。住宅市場、別荘、ゴルフ会員権、絵画、あらゆるものが、買いあさられた。高級品ほどその高騰ぶりが話題になった。ゴッホのひまわりが53億円で落札され、実家から10分ほどの高級住宅地では敷地200㎡に鉄筋三階建ての家が10億円で計画中などの話題がごろごろしていた。戦後ほぼ一貫して来た右肩上がりの成長は、ここにきて一気に加速して更なる繁栄の時代に入ったと思われた。

1990年1月、すべてが一変した。株価が突然急降下を始めた。何回か立ち直るかと思われたが、圧倒的売りの浪に飲み込まれた。4月はじめ2万8千円、10月はじめには2万2百円代まで落下した。一日のうちに日経平均500円、600円と言う下げは日常的風景となった。

私はなすすべもなく、時々証券会社の担当者に、電話をいれた。時には、語気を強めて 予想と現実の隔離をなじった。しばらくして、担当者が家まで挨拶に来た。寿退社と言う。 私は、少し文句を言いすぎたことを反省した。次の担当者は、顧客のいかなる文句にもびくともしないような、いかつい中年の男性に変わった。

この急落の背景もわかってきた。かなり以前から、海外投資家は日本の機関投資家(生保、銀行、など)から大量に株を借り集めていたらしい。それを適当な時期に一気に売りあびせ、暴落した時点で改めて買い、少し戻したところで再度売る。これを執拗に繰り返したらしい。最後にもう一度安値で拾い借主に返却したみたいだ。

その差額の利益の総額は膨大な額だったらしい。

私はその話を聞いた時、敵ながら天晴れと思うと共に、 その動きを予想し、対抗策を立てなかった政府のふがいなさに腹が立った。暴落途中、何度か株価を支える公的介入がなされたがそれはリングに叩きのめされたボクサーがよろよろとたちあがるように力なく惨めな姿だった。それと機関投資家がわずかな賃料で、結局は自分達の首を絞めることになった株貸しを、なぜ行ったかは私には、いまだに理解できない。

この株の暴落は、当然当時のマスコミでも連日取り上げられた。曰く、日本株はそもそも高くなりすぎていた。株価は市場に聞くべきで、公的介入は自由主義経済をゆがめる。郵貯や、公的資金を株のような不安定な対象に投資すべきではない。 株持合制度で甘やかしてきたからいけない。できるだけ早く、この前時代的慣習はやめるべきだ。これからは、もっと対外的障壁をなくし、海外資金を導入するべきだ。・・・・・いかにももっともなことを言っていると思われた。しかし現実に起こっていることと照らし合わせた時、何か変だと感じた。

私にはそれらの論は、ハンターに効率的に羊をあげるにはどうやればいいかの視点に立っているように聞こえ出した。

たまに私と似た論点の人がいると、他の華々しい肩書きの論客から、総攻撃が浴びせられた。某有名大学教授、某大手証券会社アナリスト、某経済研究所研究員、彼らに共通していたのは、アメリカ留学経験者と言うことだった。

彼らの立場はハンター側だった。しかし当時の日本の金融界は完全にハントされる側だった。

この状況は今の日本でも大して違っていない気がする。政府がもっと本気になって日本の金融資産を守る方策を講じなければ、同じ轍を踏むだろう。個々人の自己責任で守れる限度を超えている事実をもっと直視すべきだと思う。

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2005/08/29

ジェットコースター発進!

前回は、父の家が思いがけない高額で売却できたことを紹介した。いわばバブルの勝ち組物語である。

今回は、バブルの負け組み物語である。

母の新しい家を購入した残金は、法定遺産相続に従い分けたため、当然私も相当額をもらった。いままで、大根が100円と言うチラシが入っていると、自転車を飛ばして、少々遠くても駆けつけ、数十円安く買えたことに大いなる喜びを感じていたような私にとって、それはめまいがするほどの大金だった。

当然、まず頭に浮かんだのは、銀行や郵便局に預けることだった。増やすということには興味なかった。安全に保管して、そのうち子供や母と一緒に外国旅行したいな、たまには外食したり、家具ももっと素敵なのに買い換えようかなと、考えるだけでも楽しかった。

そのうち証券会社から電話の勧誘や、訪問が相次いだ。マスコミでも、これからは、賢い人は、株を買おう!みたいなキャンペーンが繰り返されていた。それまでの私には、“株”はばくち的イメージがあった。私とは一生縁の無い世界だと思っていた。しかしサブミナル効果というのか、毎日繰り返される“株買いましょう”のささやきのなかで私も、いつしか守旧派と言われるより、先見の明のある賢い人になりたいと思う様になっていた。

証券会社の話では、日本株は業績の割には、割安でこの先もっと買われて当然で、長期保有すれば数倍に上がると言うものだった。担当者は、頭の切れそうな弁の立つ人だった。大手の証券会社でもあり、私は言われるまま、貯金の一部を株購入に振り替えた。

この時期、確かに、株の上がり方には、目を見張るものがあった。

日経平均株価は1987年11月の2万1千円から、1989年12月末の3万8915円までほぼ一本調子で上がり続けた。さすがプロの言うことに間違いは無いな。その間、私はすっかり安心して、勧められるままに、貯金から株に資金を移し続けた。

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2005/08/26

バブルよもう一度!?

いつだったか、テレビで元自民党の郵政民営化反対派の方が話していた。

“今の時点で、民営化を実行するのは、いままで郵便配達や郵貯・簡保の集金が主たる業務の方に350兆円近い巨額の運用を任せることだ。いわば自転車しか乗ったことが無い人に、ジャンボジェット機の操縦を任せるようなものだ。”

この言葉は、妙に実感を伴って、私自身のある時期の苦い経験を、思い出させた。

1986年4月、父が亡くなり、高齢の母一人残された。どうしたらいいか兄姉の間で相談した結果、当時、専業主婦で “ひま” していた私に、すべてが一任された。私達は郊外に住み周囲は緑が多く、子供達も気に入っていた。母とも相談した結果、私達の家の近く (スープの冷めない距離) に、母の家を買い、その購入資金に、実家の売却代金を当てることにした。

なにしろ父は “清貧” を絵に描いたような人だったので、残された預金は数百万円という寂しいものだった。

実家は、代々木上原にあり、高級住宅地として知る人ぞ知る地域に隣接していた。蔵がいくつもある会社オーナーの家、警備員が常駐している家、大理石造りの宗教関係者の家等々、散歩がてら通るたびにため息が出るようなお屋敷街だった。

それに対し実家の周辺は、ごく普通の、古びた一戸建てが並んだ何処にでもありそうな町並みだった。この差はひとえに接している道路幅によるらしかった。お金持ちは、自動車が自由に入れないところには絶対住まないみたいだ。その上、土地は借地だった。家の修繕、売買すべてに地主の承諾を必要とした。家も築50年と、今にも倒れそうなぼろや。

この三重苦ともいえる実家に、提示された価格は、新たに家を買うには全然足りない額だった。私が意気消沈している間に時間ばかり過ぎてしまった。

この時期、日本は激動の時代を迎えていた。

1985年プラザ合意。円高に舵が切られた。国内産業保護のため金融緩和策がとられ、だぶつきだした資金は、為替差損を恐れ国内の土地、株に向かいだしていた。

最初の頃は、都心の土地が急激に値上がりを始めたことが、時々新聞にとりあげられたが一般の生活とは無関係だった。それがある時期から、実家周辺にも及びだした。“土地、大至急求む!”のチラシが頻繁に入り、提示価格はうなぎのぼりに上昇した。

結果として私は、母の新しい家を手にいれ、残金を父の遺産として兄姉それぞれに一千万円近く分けることができ、皆に大いに感謝された。

ここで終われば、私の蓄財成功物語としてめでたし、めでたしだったのだが、このあと 第二編 “株投資”の巻きが待っていた。ひどい経験だった。これは次回に紹介したい。

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2005/08/22

民営化!?

最近の日本で一番困惑することは、二者択一を迫られることが、実に多いことです。

黒か白か・・・私は、多彩な色彩の世界が好きです。それも人工的な原色よりも、自然色の方が、心が休まります。

イェスかノーか・・・戦争を始めたいのですか。普通、事実に基づいた対話を尽くせば、解決の糸口は見えてくるものでしょう。

丁か半か・・・これはばくち用語で、一般生活では避けたいものです。

この私にとっては、最も避けたい二者択一論議が、今、突きつけられているような気がします。

“民営化賛成” か “民営化反対” か・・・この論議は、ここ数年、日本の政治を語る人たちが、好んで使う,“官”か“民”か論争の、終着駅の様相を呈しています。

そもそも、“官”か"民”か の問題の立て方が、私にはとても奇妙に思えます。

“君“か“民”か、とか“王”か“民”か、と言うのなら解ります。これは主権の問題です。幸い日本は“主権在民”の国家です。この大前提の下に、日本の国は、戦後出発し、現在に至っています。

“官” はあくまで、国家運営の手段です。必要な  “道具” です。道具に不具合が生じたら、 まず何処が故障しているのか、どうやって直すかが順序でしょう。修理不能だったら他の道具に変えることも必要です。最近の論調は、まず道具を捨てようという感じで、私は当惑します。

色々考えていくと最後に国とは、政治とは何かという問題に行き着くと思います。

“最大多数の、最大幸福”。政治はこれに尽きると思います。国民大多数の安心して暮らせる日常を守ること、これが最大の任務だと思います。

実際の日本の政治でこれがうまく作用しているでしょうか。まず、地元民 (ここには広い意味での支持団体も含まれていいと思います) の率直な声を、中央に運ぶメッセンジャー機能は、作用しているでしょうか。一つ一つの政策ごとに国民投票するのは時間、お金の両面で無駄すぎます。

政策決定過程で、地元の利害を国全体の利害の中で適切に調整できるか。地元民のためだけに動くのでは、国の政治家としては困りますね。

国の政策を作る過程で、国民の視点に立った、優れた能力を発揮できるか。自党のため、自分の選挙基盤だけを優先するのは、やはり困りますね。

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2005/08/18

残暑お見舞い申し上げます。

さすがの猛暑も、一段落。ジージージーという、汗ばんだ肌に張り付くようなアブラ蝉の声、ミーン、ミン、ミン、ミーンという耳の中でこだます様なミンミン蝉の声も、めっきり減ってきて静かな秋の到来が待たれていたこの時になって、テレビから時ならぬミン、ミン、ミン、民、民の大合唱。当分残暑は続きそうですね。

8月8日、突如始まった解散劇は、キャストも大体出揃い、あとは8月30日からの開演を待つばかりという展開のようです。

粗筋は、自民城の殿の積年の夢、“郵政民営化”に異を唱えた、“守旧派” 家老達の城外追放に成功するが、復活を阻止するためさらに刺客を送る。その刺客たるやいずれ劣らぬ美女ぞろい。片や、鬼瓦のような顔をした、“悪の権化” の地元に入っても、子分達の様々な嫌がらせに会うが、最後には、地元の民衆の支持を得て、鬼の首を取りめでたし、めでたし、という感じでしょうか。

ただこの劇、筋の運びに無理があり、いまいち感情移入できません。

まず、“郵政民営化”が正義なのかどうか考えてみたいと思います。

郵政のなかの、郵便業務は、ファックス、Eメールなどに置き換わっていき、縮小していくと思われます。将来的に通信のなかでは“盲腸”的存在になるかもしれません。しかし痛くも無い盲腸を切除する人はあまりいないと思います。慣れ親しんだ人にとっては、それは一つの文化です。その時々にあわせて慎重に対処すればいいことで、優先課題ではないと思います。

金融業務は、もっと複雑で影響の大きな分野です。あらゆる角度から、慎重な対応が望まれます。ことは、国民の大事な財産にかかわっています。“失敗でした。無くなっちゃいました”で済む話ではありません。何故、数々の問題点が指摘されているのに、こうまでして慌てふためいて、見切り発車しようとするのでしょうか。

次に昨今流行の“官”から“民”へという流れ、はたして本当に国民のためになるのでしょうか。個々の問題について慎重な、考察が望まれます。これについての私の意見は次回に譲ります。

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2005/08/15

携帯若葉マーク、発信   3

7.19 5:51
<目指せ!!常念!!>
槍は極めたよ!ってことでこれから
常念岳にいってくるよ~

7.19 5:58
<Re:目指せ!常念!!>
無理しない事!目標は無事下山する事!
高山植物きれいですか?

7.19 6:01
<Re:目指せ常念!!>
雨も風も納まったし問題ないよ!
それより、ママがこの時間に起きている方がビックリ!!

7.19 6:07
<Re:目指せ!常念!!>
天気回復してよかったね!
又寝ようかな。

7.19 9:14
<1/3>
行程の三分の一、西岳に着いたよ~。
ガスと小雨がひどいよ!!

7.19 9:21
<ちなみに>
ここら辺は一帯がお花畑!晴れてたらママにお勧め!!

7.19 9:28
<Re:ちなみに>
無事目的地に到着のメール待ってます。

7.19 16:37
<到着>
目的地の常念小屋に着いたよ!目の前に常念岳がばっちり!

7.19 18:39
<Re:到着>                              ・・・・・私は北アルプスの案内書を見ながら、健と登山をしている気分になる
近くにコマクサがあるらしいよ。見た?
パノラマ銀座通ったの?今日は小屋で泊るの?
明日の予定は?

7.19 18:43
<Re:到着>
今日はテントだよ。寝袋に潜ってるところ。
コマクサってどんな花?

小屋の近くで、紐で周囲を囲ってたのがそうかな。
道々、たくさん在ったよ。

7.19 18:45
<そもそも>
パノラマ銀座なんて無いよ。表か裏だけ

7.19 18:51
<追伸>
明日は目の前にある常念岳を登って、その後、蝶ヶ岳経由で下山する予定。
ほぼ10時間コースだから、上高地につくのは三時くらいかな。

7.19 19:07
<訂正>
パノラマ銀座ってあるね、愛称だけど。
燕岳ー大天井岳の間は通ってないけど、大天井岳ー常念岳は今日通ったし、明日は常念岳ー蝶ヶ岳通るよ。
展望は本当に良くて槍ヶ岳や穂高岳がバッチリ見えたよ。
ただ、いまいち槍ヶ岳の方の天気がどんよりしてたけどね。

7.19 20:05
<Re:訂正>

了解。おやすみなさい。

7.20 10:00
<終了>
縦走の最終目的地の蝶ヶ岳についたよ~。
あとはプラプラ下るだけ。

7.20 10:19
<RE:終了>

天気も良さそうだね。最後まで油断しないで!

7.20 14:37
<上高地>
ほぼ、予定どおり上高地に到着!

7.20 15:25
<沢渡>
もうすぐ、バイクの停めたところに着くよ。

7.20 16:40
<Re:沢渡>

気をつけて帰ってね!!

7.20 22:59     ・・・・・・健から無事、社員寮に帰着の電話。バイクと登山が趣味の息子の母親は、心臓が鍛えられます。

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2005/08/12

携帯若葉マーク、発信   2

7・16 5:52
<出発!!>
ママは熟睡してる時間だと思うけど今から、出発するよ~

7.16 8:32
<祇園>
ママは、まだ熟睡してると思うけど京都に就いたよ~。
こっから高速に乗って一気に信州上陸!それにしても京都は暑すぎ・・・

7.16 9:25
<Re 祇園>
いい旅を!  天気はどう? 東京も暑いよ!
山には謙虚にむきあう事!

7.16 15:55
<さわわたり>      ・・・・・私が以前の健への電話で、間違えた読み方。正しくは “ さわんど  ”
やっと、沢渡に着いたよ♪
こっから上高地行きのバスに乗り換え!
それにしても
沢渡への迂回路は時間かかり過ぎ!一時間以上かかったよ。
ちなみに天気は中央アルプス辺りでぱらついたけど、今はやんで曇りだよ。
でも、いつでも降ってきそうな雰囲気・・・

7.17 5:10
<登山開始!>
穂高目指して出発するよ!

7.17 19:20
<Re:登山開始!>
野営地に着いた?夕食は?
ばててない?

7.18 8:50
<不思議>
こんな所で携帯が繋がるなんてビックリ!!
今は穂高山荘から槍ヶ岳の縦走の途中だよ~。
危険がいっぱいで楽しい!!

7.18 8.53
<P.S.>
昨日は曇っていたけど今日は快晴!!

7.18 16:38
<最悪・・・>
今、槍ヶ岳山荘にいるんだ。
テント泊する予定が突然の土砂降りで、しょうがなく今日は小屋泊りにしたよ。
いびきをかく人がいないことを願うばかりだよ。
ちなみに、槍はまだ登ってないんだ。
こっから往復一時間もかからないんだけど、土砂降りじゃあね~。
明日晴れることを祈っているよ!

7.18 19:41
<Re:最悪・・・> ・・・・・・“最悪”の文字を見たとたん、脊髄反射的に健へメールを送っていた。最悪の事態を覚悟しながら。
どうしたの?
今後の行動は慎重に!

7.18 19:43
<Re:最悪・・・>
人のメール読んでないね~。
暇だったら、電話かけてみて。     
 ・・・・・音声は少し悪かったが、通話に支障は無かった。

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2005/08/05

携帯若葉マーク、発信   1

5.26 15:05
<元気ですか>;                    
雨戸が閉まっていたので、未だ寝ていると思っていました。夜は何時に帰りますか。
ママ               
・・・・・  私の初めての携帯メール 

5.26 15:13
<元気だよ!!>
平日なんだからいつまでも寝てるわけないでしょ!
あと、今日は夕飯食べてくるから。寛
P.S.   
ママ、ってつけるのはやめてくれない?

5.31 16:58
<夕飯どうします>
家で食べますか?何時ごろ帰りますか?

5.31 17:03
<Re 夕飯どうします>
いつも通り家で食べるよ。

6.13 17:24
<夕食>
今日の夕食はたべてきます。   
                     ・・・・・・我が家では夕食を外で食べる時は、必ず家に連絡を入れる決まりがある

6.16 15:36
<夕食>
今日の夕食は食べてきます。

6.17 16:27
<今日の夕食>
ママは外でたべます。寛君も自由にしてください。

6.20 15:21
<夕食>
寛です。今日、夕食は食べてきます。

6.24 6.28 6.29 7.5 7.7 7.11 7.14 7.15 ・・・・・以後も “夕食は食べてきます”メールは延々と続くが、大同小異なので省略

6.30 13:14
<東京は雨が降りすずしくしくなりました。そちらはどうですか?>              ・・・・・私から健への初めての携帯メール

6.30 19:16
<Re 東京は雨が降りすずしくなり>
なんか、タイトルに本文が書いてある手抜きメールが来た~

7.7 15:54
<パソコンについて>
パソコンについてだけど、既にBackUpはしてるんで使用してもオッケーです。
ただし、インターネットエクスプローラーが壊れてしまっているんでネットを見る場合はfirefoxというソフトを代わりに使用してください。(デスクトップにショートカットがあります)      
 ・・・・・パソコンの不具合はいまだ完治していない

7.7 16:09
<嵐>
突然、激しい雷と土砂降りになった!!
朝は快晴で洗濯全部干してきたから全滅決定・・・

7.8 9:32
<洗濯大変だったね。ママは昨日はオオムラサキを見に山梨県の長坂まで行ってきました。いっぱいいたよ!>

7.8 12:18
<Re:洗濯大変だったね。ママは昨日>
だから、タイトルに本文入れちゃダメなんだって~!!「ままは昨日」できれてる。
どうせ、その後に続く文は 「も遊びまわってた」 だろうけど・・・

7.8 18:39
<自然観察に行って来ました>
山梨県の長坂までオオムラサキの観察に行って来ました。いっぱいいたよ!4万歩近く歩きました。

7.8 18:42
<Re:自然観察に行ってきました>
4万歩って言ったら六甲全縦の半分くらいだね~。ママにしては上出来だ~!!                                          ・・・・健は昨年、六甲全山縦走に参加し、完走した

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2005/08/01

心頭滅却すれば、火もまた涼し

暑い!!パソコンの調子が悪い!!    →更新を休む。

どうも悪循環が止まりません。ここいらで私の“ど根性”を発揮しないと、私のブログも風化して、忘れ去られてしまいますね。

   パソコンの修理がはかどらない。

   パソコンのある部屋にクーラーが無い。

   海からの風を、幾つかのビル群が、屏風のようにさえぎってしまった。

だからどうした。インドの人だって、座禅というきわめて合理的な、省エネライフスタイルを創造したじゃないか。私だって、パソコンに向き合うことで、この暑さを滅却するのだ。

といっても、いきなり東大闘争の話に戻るのも、荷が重いので、しばらくは、最近始めた、携帯電話について書きたいと思います。

以前パソコンに対して抱いていた気持ちと同様、携帯も私には、無縁のものとして、この先も生きていくと思ってました。携帯を持つということは、何だか発信機を取り付けられた、保護動物になるようで、私はそんな束縛を受けずに、“自由に、人生生きて行く”みたいに粋がっていました。

それが、ひょんなことから始めてみると、なかなか便利なんですね。電話機能は、さすが機械オンチの私でも、直ぐ解りましたが、Eメールは、今修行中です。これが又、奥が深く、短い文章で、いかに的確に、しかも気持ちを込めて表現するか。まさに俳句の世界(これは息子の言葉)です。

次回から、二人の息子が相手を務めてくれた私の、Eメール修行記を紹介します。

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