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2005/08/26

バブルよもう一度!?

いつだったか、テレビで元自民党の郵政民営化反対派の方が話していた。

“今の時点で、民営化を実行するのは、いままで郵便配達や郵貯・簡保の集金が主たる業務の方に350兆円近い巨額の運用を任せることだ。いわば自転車しか乗ったことが無い人に、ジャンボジェット機の操縦を任せるようなものだ。”

この言葉は、妙に実感を伴って、私自身のある時期の苦い経験を、思い出させた。

1986年4月、父が亡くなり、高齢の母一人残された。どうしたらいいか兄姉の間で相談した結果、当時、専業主婦で “ひま” していた私に、すべてが一任された。私達は郊外に住み周囲は緑が多く、子供達も気に入っていた。母とも相談した結果、私達の家の近く (スープの冷めない距離) に、母の家を買い、その購入資金に、実家の売却代金を当てることにした。

なにしろ父は “清貧” を絵に描いたような人だったので、残された預金は数百万円という寂しいものだった。

実家は、代々木上原にあり、高級住宅地として知る人ぞ知る地域に隣接していた。蔵がいくつもある会社オーナーの家、警備員が常駐している家、大理石造りの宗教関係者の家等々、散歩がてら通るたびにため息が出るようなお屋敷街だった。

それに対し実家の周辺は、ごく普通の、古びた一戸建てが並んだ何処にでもありそうな町並みだった。この差はひとえに接している道路幅によるらしかった。お金持ちは、自動車が自由に入れないところには絶対住まないみたいだ。その上、土地は借地だった。家の修繕、売買すべてに地主の承諾を必要とした。家も築50年と、今にも倒れそうなぼろや。

この三重苦ともいえる実家に、提示された価格は、新たに家を買うには全然足りない額だった。私が意気消沈している間に時間ばかり過ぎてしまった。

この時期、日本は激動の時代を迎えていた。

1985年プラザ合意。円高に舵が切られた。国内産業保護のため金融緩和策がとられ、だぶつきだした資金は、為替差損を恐れ国内の土地、株に向かいだしていた。

最初の頃は、都心の土地が急激に値上がりを始めたことが、時々新聞にとりあげられたが一般の生活とは無関係だった。それがある時期から、実家周辺にも及びだした。“土地、大至急求む!”のチラシが頻繁に入り、提示価格はうなぎのぼりに上昇した。

結果として私は、母の新しい家を手にいれ、残金を父の遺産として兄姉それぞれに一千万円近く分けることができ、皆に大いに感謝された。

ここで終われば、私の蓄財成功物語としてめでたし、めでたしだったのだが、このあと 第二編 “株投資”の巻きが待っていた。ひどい経験だった。これは次回に紹介したい。

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