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2005/12/05

アッテンボローさんへの返事 続

 新左翼運動をになった多くの人は、知的エリート層に属していたと思います。新左翼の問題は、詰まるところ日本の若き知的エリート層のかかえる問題でもあったと思います。社会の抱える問題に鋭敏に反応するが、行動は過激に走り、時間の経過と共に一般人の意識から遊離してしまう・・・・・。簡単に言えば “観念的” なのです。

 私が大学に入った時のクラス担任のK先生は、よく東大生が観念的で、頭でっかちであると嘆いていました。今から考えると、K先生は、日本の高等教育に永年にわたって君臨してきた観念論と孤軍奮闘していたんだなという気がします。教材は、中国語でしたが、目指していたのは、実践的思考を私達に会得させたかったんだと思います。

 事実を事実としてとらえ、もし問題があればそれを合理的に解決していく。これは科学的精神そのものです。自然科学の世界では常識的なことが、社会科学、人文科学の世界では通用しない。或る時は排斥さえされる。それはある意味神学の世界であり、宗教の世界に足を突っ込んで居るとさえいえると思います。

 それが、最も悲劇的に作用したのが、先の大戦だったと思います。政治の世界は、理念は必要ですが、運用においては最も実践的であるべきで、常に事実検証しながらなされるべき物だと思います。政治の最も先鋭化されたものともいえる戦争において、観念論と神がかりに支配された時、帰趨は決まっていたのでしょう。

 戦後、廃墟の中から立ち上がった人たちは、健康な実践主義に裏打ちされていたと思います。
 しかし社会の発展に逆比例して、人材の流動化が鈍り、観念論が跋扈しだしていました。東大闘争を否定的に捉え、押しつぶしたのはそんな潮流だったと思います。それに対した学生側もある意味観念論の呪縛から自由だったかというとかなり疑問です。双方が合理的実践的に向き合えていたら東大闘争は、日本の高等教育を風通しの良い、自由な建設的な創造の場に変えられていたと思います。
 結局旧態を温存した大学から巣立った人の中には、隠蔽体質と観念的思考を受け継いでいった者もいたでしょう。

 バブルに適切に対処できなかったのも、今また“改革”という言葉によって、実践的であるべき政治を安易なスローガンで、振り回しているのもこの観念論の一変形だと思われます。

 話はもどりますが、現在労働組合を実質的に支えている方々は、多かれ少なかれ新左翼の影響を受けていると思われますが、初心は貫かれているのでしょうか。日本を支えている圧倒的多数の労働者の生活を守る事 (それは日本を守る事とほとんど同義語とさえ言えると思うのですが ) に取り組めているのでしょうか。

 労働者の概念を、正社員だけに限定していないでしょうか。パートや派遣、契約社員、臨時工、アルバイトなど不安定な形の労働者が増大している中、正社員の権利だけを主張する事は、労働者の間の意識を分断するでしょう。 また大企業と中小企業の格差も広がっている今日、より切実な問題を抱えている人たちの側に立つのか、切り捨てるのか。労働運動の質が問われていると思います。

 団結は力を生み、分裂は悲劇を招いた過去の経験から、学ぶべき点は多いと思います。

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