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2005/12/13

湯を沸かす?

 中国人の友人に時々、日本語について質問されることがある。日本人として生まれ、日本語の中で育ってきたのでなんとも思わなかった言葉のなかに、外国人の目から見ると思わぬ発見がある。

 最近の発見は、“ 湯を沸かす ” だ。何故 “水” ではなくて “湯” なのですか。中国語では焼水というとのこと。言われてみればそのとうりだ。湯は結果である。似た例では、ごはんをたく、もちをつくなどが思い浮かぶ。いずれも沸かして湯にする。炊いてご飯を作る、搗いて餅にするという方が実情に近い。これらをもっと調べると、日本語の性質の一側面を知る手がかりと成るかもしれないが、今回は、動詞の違いに注目してみたい。

 “ 焼水”の “焼” は、文字どうり、薪や石炭で加熱する事である。水から湯への変化の原因をはっきり述べている。それに対し沸かすという動詞は水蒸気が沸々と水面に立ち上っている様子を形容している。結果を絵画的に描写しているといってもいいだろう。

 これから両国の国民性を論じるのは短絡的に過ぎるかもしれないが、ある面を象徴している気がする。中国人は、理論的合理性を重んじ、日本人は、結果を感覚的に受け入れる。

 こういう国民性の違いは、時として、両国間の理解に齟齬を生じ、思わぬ紛糾をもたらしかねない。

 最近の例では、靖国神社を巡る、諸問題がある。靖国神社は名前からして神社であり、神を祭るので宗教の問題である。宗教を政治に持ち込んでひどい目に会った経験から、戦後の憲法では政治に宗教を持ち込まないことを国是としてきたはずである。政治家が、自らそれを破る事は、現に慎んでもらいたい。
 靖国問題にはもう一つの、側面がある。A級戦犯の問題である。“ 日本人的 ” 発想法からすれば、人は死ねば皆仏になるので差別をすべきではないと考える。中国的 ( 世界では多数派と思われるが ) 考え方からすれば、何か過ちがなされた場合、責任者が責任を取ることによって、次の一歩が歩み出せる。
 そういう考え方からすれば、日本は、責任を曖昧にしごまかしている。口では、反省しているといいながら、態度が伴っていない。非常に不誠実であると感じているのではないか。

 ここで考えるべきことは、どちらが正しいかではなく、どうしたら双方の理解が進むかであると思う。日本側がいつの間にか、加害者責任を忘れ、被害者の感情を傷つけているようなことは無いだろうか。為政者は特に自戒していただきたいと思う。

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