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2005/12/21

人参はにんじん?

 中国語で人参は、日本で言うところの朝鮮人参のことで、日本で言うニンジンは中国語では紅蘿卜(赤い大根) という。これは以前触れた事もあるが、ツバキと椿は違うという問題と同じだ。要するに誤訳である。ただ本来は誤訳でも、歴史という苔で覆われてしまうと、立派に日本語の中では市民権を獲得して居るので、一概に否定できないのが悩ましい。

 次に “人参” そのものについて見てみたい。中国人、特に吉林省の人に言わせると、人参の本場は、吉林省で、質量共に最高との事。それを、“朝鮮” 人参といわれることで、朝鮮産が一番との印象が強い事が大いに不満のようだ。他にも最初に持ち込まれた産地が名前に影響する例は多い。
 サツマイモが薩摩芋、トウガラシが唐辛子と呼ばれて居るようなものだ。時間の経過とともに朝鮮人参もチョウセンニンジンと普通名詞化することによって解決されていくのだろう。

 特定地産が、普通名詞化しないで、固定肥大化する場合がある。それがいわゆるブランドだろう。
 魚沼産のコシヒカリ、神戸牛、明石の鯛、丹波の黒豆、関鯵などなど。以前テレビで同じ “関鯵” でも水揚げされる港が違うと、値段が数倍違うという嘆きを聞いた事があった。行き過ぎた例だろう。

 しかし基本的に、ブランドへの信頼には合理性がある。生産者の生産物へのこだわり、弛みない品質維持の努力、消費者の厳しい評価を経て生き残っているものには、それなりの品質の高さが期待できるからだ。

 ところが、これらがひとたびブランド “信仰” となると様相を一変する。生産者、消費者ともに合理的批判眼を失う。生産者は不断の品質保持の努力の変わりに、表面的現状維持のみに腐心し、消費者は、ブランドに、性能のよさの代わりに、ステイタスシンボルを求める。

 日本は今、マンションの耐震強度偽装問題でゆれている。大激震だ。やはり値段は高くても安心第一と考えたくなる。ブランドへの回帰だ。しかしこの問題の本質も、やはり、形骸化したブランド信仰の一形態のような気がする。 この事件の場合、ブランドは建築業者ではない。ある意味もっと深刻だ。
 それは、一級建築士という国家資格へのブランド信仰、“建築確認” 行政の機能不全という、国への信頼に触れる問題だからだ。すなわち、国の行政への信頼が実は、ブランド信仰に過ぎなかったのではないかと国民が考え出しているという事だ。

 この問題の成り行きは、一部の利害関係者や機関に捻じ曲げられることないよう、“ブログマスコミ” も総力を挙げて見守るべきだろう。

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