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2006/02/20

1.雪の夜    続

 母は町で生まれ育ちました。

家庭も比較的恵まれていたので、学業に専心できました。成績も非常に良く、学校の中では評判だったそうです。母の当時の希望は大学を卒業して、教師になる事でした。

 しかし高校に在学中、“文化大革命”が始まりました。多くの学校が閉鎖され、“知識分子”(旧社会の価値観を次代に植えつけるとされた)の教師達は、あるいは批判にさらされ、あるいは農村に行き自己の思想変革を促されます。昨日まで、浪々と教科書を読む声が響いていた学校は、一転して蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、今まで尊敬するよう教えられた教師達を批判し、ありがたがってきた古い文物に批判の刃を向けました。母も当然、腕に紅小兵の腕章を巻き、“文化大革命”とは何か良くわからないながら、“造反有理”を叫び、階級の敵と戦います。ただ教師を殴ったり、学校のガラスを割るような行動には参加しなかったと母は言っています。

 こうした混乱した時代の中で、母の学校生活は終わります。続いて、“学生は、地方に行き、労働する中で意識改革しよう”というスローガンの下、都会生活で身に付いた垢を流しに田舎に行くことになります。幸いといおうか、当時母は高校3年を終えていました。これは当時としては最高の学歴だったので、世間は“老高三”と称して、愛惜をこめて尊重してくれたそうです。

 文化大革命が終わった時、母も町に戻り、工場に配属されます。学校も徐々に再開され、学生も教室に戻りだしました。国は、文化大革命で、進学の夢を絶たれた人たち対象に、工場、役所などを通じて学生の募集を始めます。当然、各職場で推薦された者が優先されます。母の職場で推薦を受けたのは、母だけでした。

 しかし母は本当についていませんでした。母が20歳の時、一番下の弟が生まれ、祖母は身体を壊し、6人の弟妹の世話が母に課せられました。結局、母は大学進学の夢をあきらめざるを得ませんでした。

 母と父は人の紹介で知り合いました。その時、父はすでに軍隊の一兵卒から、小隊長になっていました。父の言葉によると、父は母に一目ぼれし、直ぐにお嫁さんにする決心をしたそうです。

 父は男の子を待望していました。父にとっては、男の子だけが、血統を守ってくれるのでした。母が妊娠したと解るや、生まれて来る息子の為に、ふさわしい名前を考えました。浩は気宇壮大を意味します。男の子は、すべからく志が広大無辺であるべきなのです。

 私が生まれたその日、父はずっと部屋の外で待ち続けました。お産婆さんが、女の子が無事生まれたという吉報を告げた時、父は一瞬凍りつき、しばらく無言で立ち尽していたといいます。しばらくすると、突然大声で泣き出し、その声は部屋の中で寝ていた母まで届いたそうです。

 当然、父には女の子用に、新しい名前を考える熱意は残っていませんでした。私はその男の子用の名前を借用することになったのです。

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