« 闘病記 | トップページ | 浩(ハオ)さんの物語  »

2006/02/13

ハンノキの花

 北風が少し和らぎ、暖かな日が数日続くと家の近くの法面のハンノキが一斉に花を開く。花といってもジミである。初めて私がその存在に気が付いたのは、道にゴミのように散らかっている、その雄花の花穂を見つけた時だった。思わず上を見上げると、法面から伸びだした枝に、まるでベビーサラミみたいな雄花がいっぱいぶら下がっていた。こんなに寒い時期なのに。私は、少々の感動を持ってその花を見上げた。

 それにしてもジミである。花というイメージに少しもそぐわない。後に樹木の知識が増えるにつれ、ハンノキの様な花は、決して珍しくないという事を知るが、当時の私は、花にはある種の華やかさが絶対に必要だと考えていた。

hanoki  それでも以後、毎年この時期になると、何となくこの花の開花を心のどこかで待ち望んでいるのは、備前焼に対する愛着に似ている。父の故郷、岡山特産という理由もあり備前焼には何とは無い郷愁に似たものを感じているのだ。ハンノキの花、特に雄花の蕾の雰囲気は備前焼にとても似ている。

 今年も、ここ数日、咲き出した。いつもながらジミで、道行く人誰一人として気付いていないようなのに、そんな事は我関せずと、しっかりと季節を告げてくれている。

 ハンノキについてこの際、色々調べてみた。以下、私の感想も混ぜながら、簡単に紹介したい。

 ハンノキはそもそも湿地を好む樹種という。里山の水田の近くとか、公園でも湿地に良く見られる。我が家の近くで見られるのは、宅地造成の時、それ以前の地形を法面に残したため生き残ったのであろうか。
 昔は日本中、いたるところで見られたらしい。根に根粒菌を持ち、空中の窒素を栄養として取り込めるという。そのため地味のやせたところでも良く生長でき、湿地に樹木が入っていく時のパイオニア的役割を持っていたという。
 
 ハンノキは古くハリノキと呼ばれていたが、それはハリ(墾)の木の意味で、水田を開く時、ハンノキの生えているところを、開墾の目安にしたという。そこには必ず豊かな水脈があったからだ。
   
 豊葦原瑞穂の国である。豊かにが生い茂り、稲穂がたわわに実った水田がところどころに見渡せる。これから一生懸命働けば、水田は更に広がり、豊かな生活が待っている。
 戦乱の大陸から、平和な新天地を求めて渡来した人たち、又その人たちに稲作を教わり手を携えて開墾に立ち向かおうとしていた人たち、すなわち私達の祖先にとって、それは希望の土地であり、輝かしい未来へ続く風景だったと思われる。

 時代は移り、自然も変化した。かっての湿原は、水田となり、最近は工業地帯となり、マンションが群立するようになった。それに従いハンノキの生息地も激減していったのだろう。

 とはいっても、今でも全国各地の山地や寒冷地に、ハンノキの生えている湿原や湿地は残っているようだ。その最大のものは釧路湿原だろう。山手線内の面積のおよそ3倍もあるという広大な湿原が広がり、葦が生い茂り、ハンノキが点在しているという。日本に稲作文化が発祥した当時は、全国いたるところ、特に平野部ではごくありふれた情景だったのだろう。一度釧路湿原に行ってみたい。太古の息吹に触れて、私達の祖先の胸の高まりを是非、追体験してみたいと思う。

|

« 闘病記 | トップページ | 浩(ハオ)さんの物語  »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ハンノキの花:

« 闘病記 | トップページ | 浩(ハオ)さんの物語  »