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2006/04/17

7.張作霖のお屋敷  続

 とはいっても、私達が住む事になった部屋は、当然張作霖が使用したものではなく、彼の部下が使用していたものでした。それでも、父にとっては、ずっと自慢の種でした。

“僕が今住んでいるところは、張作霖が東北地方に駐屯していた時住んでいた所なんだ。”と会う人毎に言いました。まるで、あの有名な張作霖に自分自身がなったような気分だったと思います。

 しかし、私が思い出す限り、張作霖の住居はひどくみすぼらしいものでした。何枚かの板を張り合わせて作ったドアは、深緑色に塗られ、板と板の隙間は、母が新聞紙を張り合わせてふさいでいましたが、晩秋の冷たい隙間風は、容赦なく吹き込んできました。

木製のドアを開けると、深緑のペンキが塗られたベニヤ板が置かれているだけのオンドルが部屋の四分の三を占めています。このオンドルはとても広くて長く、上には優に十数人の兵士が楽に寝れたと思います。部屋の床は、土間になっていて、雨でも降った日には外から帰って来ると、垂れる水でどろどろになります。私は、何度もこの上で滑って、泥だらけになりました。

 母はそんな土間の上に大事な家具を置かずに、たんすなどは、皆オンドルの上においていました。そんなわけで私達家族の生活空間は、このダンスでも踊れるくらい広いオンドルの上でした。

 東北地方の寒さは、耳が凍って落ちてしまうくらい厳しいものです。父は退役後もずっと軍用のオーバーに、耳あてのある軍用帽子に、重たいけれど厚い内綿付きの軍用靴を愛用していました。軍用品は一般の民需品に比べ、性能が良く、保温性にも優れていたようです。母も、全身軍用品で固めていたので、一目見ただけで、軍関係者だとわかります。街では、珍しかったのですが、張家の敷地内では普通の光景でした。張家の住居に出入りし軍服を着ていることは、ここの住人にとってはとても誇らしい事だったのです。

 

 私が始めて覚えた字も自分の姓ではなく、“張”でした。

 私の家の向かいに住んでいた人は“張”さんで、私と同い年の男の子が居ました。この子は良く家に遊びにきましたし、父もとても可愛がっていました。ある日、張さんちの男の子が言いました。

“僕、字がかけるよ!”そう言うと、ひどくへたくそに“張”と書きます。男の子が帰った後、父は急に私を抱っこするといいました。

“パパもおまえに字を教えてやろう!”

 私は当然“李”という字を教えてくれるのかと思いました。自分の苗字を書く事から始めるのが字を覚える普通のやり方だったのに、父が書き辛い“張”から始めたのでちょっと面食らいました。父は大真面目に言いました。

“お前に、張作霖が住んだことのある住居に住んだことを忘れて欲しくないんだよ”

 今では当時の、父の気持ちが良く解ります。張作霖は軍人であった父の理想だったのでしょう。

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