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2006/07/28

15.小学校入学

父の職場から家が支給される事になり、家族は皆大喜びしました。“張作霖”のお屋敷住まいは父にとっては誇りでしたが、実際には狭くて、薄暗くて、じめじめしていて、四人家族の生活には、余りありがたいものではなかったからです。

 新居は郊外のとても静かな場所にありました。“新居”といっても、壁のところどころは剥がれていて、築10年やそこらは経過している感じでした。初めてその家に行った時は4階だったせいもあり息を切らせてたどり着いたあとも、しばらくは興奮が収まりませんでした。その家には二間ありましたが、それぞれの部屋にオンドルかありました。

 冬季、部屋を暖めるために、以前と同様まきを割り、石炭を燃やさないといけないなんて・・・。これは私がアパートに抱いていたイメージと違いすぎます。アパートは暖房が完備していて、フワフワしたマットのベッドで眠れるとばかり思っていました。でも何といっても私達にとっては始めての自分達の家だったのです。

 新しい家に隣接して、小学校がありました。たまたま、大叔父(祖父の兄)がそこで働いていました。大叔父は七十歳に近く、人望もあり学校でとても影響力がありました。そんなこともあって私は未だ5歳だったのですが、入学試験を受けられる事になりました。当時の中国では7歳入学が普通でしたが、8歳で入学する人も多く年齢制限は比較的自由でした。とはいっても、入学するためには、入学試験に受からなければなりません。これは私にとって始めての人生の関門であり、その前後の事は今でもはっきりと覚えています。

 試験が近づくと父は私に数の数え方を教えてくれました。一から百まで覚えると次は百から一まで戻ります。幼稚園に行かなかったので、数字に触れた初めての経験でした。でも数字の音を聞いているとリズミカルでまるで音楽を聴いているみたいで、十まで覚えると後はとても簡単に覚えられました。こんな特訓を受けてどうやら入試に合格できました。


“浩ちゃん学校に行くんだって!”

“浩ちゃんは小学生になるのね!”周りの人が皆喜んでくれるのですが、私には小学生になるってどんな事かぜんぜん想像できませんでした。

                    ( 続く)

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2006/07/24

ヤマユリ(山百合)

今郊外を歩くと、いろいろなところでヤマユリに出会える。おとぎの国からやって来たような大輪の豪華な美しい姿、そしてむせ返るような芳香。夏休みの楽しい思い出に必ず登場してくる懐かしい花だ。

近所の里山を歩いていると、遠くからも白く浮き出て見える一角があった。近づいてみると、竹林の一部を切り払った斜面にヤマユリが群生していた。土地の人の話では、昔はこんな風景はそこらじゅうに普通に見られたらしい。今は、意識的にその一角を保存しているという。

群生地こそ珍しくなったが、一株、二株のヤマユリが林縁から顔を覗かせている姿は今でもよく見かける。

“ああ、夏なんだ!”その度に甘酸っぱい感傷にも近い気持ちになる。

先日、ヤマユリの群生に出会えると聞き武蔵森林公園を訪ねた。広い森林の林床に点々と白く浮き出るようにヤマユリが咲いていた。一株に一輪 、二輪とひそやかに咲く姿はまたそれなりの趣があった。 

_036 道なりに進んでいくと、ぱっと開けた草地に出た。梅林の脇に広がる広場で低い草丈の藪の中に、ヤマユリが群生していた。株ごとに十数個の花をつけ、あのむせ返るような匂いで辺りを圧倒していた。しばし声を呑んで立ち尽くした。私の今までのヤマユリの花の記憶のすべてを凌駕する圧巻の光景だった。

これぞ、ヤマユリ!夏のぎらぎらした太陽光線の中で、精一杯命を躍動させている姿こそ似つかわしい。

ヤマユリを庭で育てるのは難しいという。事実私も何回か試みた事があるが、余り芳しくない。そもそも他のユリに比べて球根の値段が高い。一時私も夢中になった、あのカサブランカより高価だ。秋の終わりに、数個購入して庭に植える。春さき芽が出ているのを見つけ喜ぶ、ある日気が付くと虫にきれいに食べられていて茎の一部しか残っていない。大抵夜盗虫の仕業である。悔しがっても後の祭りで、また一年棒に振る事になる。これを数回繰り返すと、大抵あきらめてしまう。

ある年の年末、正月料理の材料売り場で、ユリ根が売られていた。園芸店で買うよりはるかに安い。私は大喜びで数パック買い、家に帰ると庭の日当たりの良い一角に植え、開花を楽しみにした。春になり芽が出て、すくすくと育ち夏になり、たくさんの蕾をつけた。最初の一輪が咲いたときビックリした。それは目にも鮮やかなオレンジ色だったのだ。本で調べると、それはオニユリ(鬼百合)だった。私がユリ根はヤマユリの球根と、勝手に思い込んでいたのが間違いの元だったようだ。今は鬼百合が主流らしい。

しかし、鬼百合もそれなりにきれいだし、蜜が豊かなのか、たくさんのアゲハチョウが訪れてくれた。そこまでは良かったのだが、それ以後、庭にある金柑の木にアゲハチョウが産卵するようになり、アゲハチョウの成長を見守るか、金柑の木を守るかのつらい選択に毎年悩まされる事になった。ここ数年は、数匹のアゲハチョウの幼虫を残すというところに落ち着いている。

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2006/07/21

長野豪雨脱出記

 長野岡谷地区をはじめ全国各地から痛ましいニュースが報じられています。未だ梅雨最後の大雨が続くと予想される現在、細心の警戒心を持って、最大限の予防に全力を注いでいただきたいと思います。

実は私自身、718日は長野県霧ケ峰のバスツアーに参加していました。

 梅雨の終わりにかなりの大雨に見舞われるのは例年の事なので、さしたる警戒感もなく、キャンセルするのももったいないし、車窓から眺めるだけでもいいと予定通り参加しました。

前の夜の天気予報で長野県と島根県が赤く表示されていたのが、妙に心に焼き付いていたのですが、朝のあわただしさの中ですっかり忘れてしまいました。


途中の雨脚もたいしたことなく、運がよければ晴れ間もありかな、なんて甘い期待も抱いていました。昨年見たニッコウキスゲの見事さが忘れがたく、是非また見たかったのが最大の理由でした。予定していた道が崖崩れのため通行できなくなったので、ビーナスラインを往復する事になったと告げられても、あのニッコウキスゲの群落を二回も見れるなんて、ラッキーと内心喜んでいました。

実際には、バスの窓が水分で曇るので、しょっちゅう拭かなければ車外は見れなかったし、花は未だちらほらといった感じで寂しいものでした。今年は全般に開花が遅く、ニッコウキスゲも1、2週間後が見頃でしょうとのこと。


車山高原も、霧ヶ峰も傘を差しての散策でしたが、雨の量よりは風の冷たさに、さすが山の天気は厳しいと感じ入っていました。次は八島湿原の散策です。ここは尾瀬と同じぐらい貴重な湿原植物の宝庫で、私としてはこの日一番の注目ポイントでした。今年はどんな花に出会えるんだろう。期待で天気の悪さなんか吹き飛んでしまっていました。それなのに・・・・

“八島湿原は増水していて危険が予想されますので散策は中止します” 添乗員さんはこともなげに告げます。それはないよ!私は心の中で最大限の抗議をしていました。せっかくここまで来たのに。雨だってそんなに強く降ってないのに・・・

“昨日一日だけで、長野の七月分に相当する雨が降ったそうです”

上諏訪で休憩した時も、小雨に煙る諏訪湖もまた良いものだ・・・などと悦に入っていたのですが、発車十数分後・・・

“先ほど通った道が冠水して通行止めになったそうです。危機一髪でした”あくまで淡々とした報告です。

次の日のニュースで岡谷地区の悲報を知りました。私達が諏訪湖で休憩した場所の対岸地域です。そういえば、川沿いを走行していた時は、川幅いっぱいに濁流が流れ堤防に迫っていたなァとか、あちこちの側溝があふれていたなァとか、危険と隣合っていたのを今にして感じます。


こんな能天気な観光客をある程度、観光も楽しませてくれてしかも何の不安も感じさせる事なく、無事帰宅させてくれた運転手さん、添乗員さんはじめ多くの関係者の方々に心からお礼を言いたいと思います。

天候不順は避けがたいものかもしれません。しかし多くの人たちの弛みない日常活動によってそれが災害に直結しないよう守られているのを痛感しました。

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2006/07/17

14.爆竹遊び  続々

 突然、門を激しくたたく音がしました。どうやら永生は夢中で爆竹遊びをしていたのですが周りがいやに静まり返り、子供達もいなくなっているのにはっと気が付いたようです。急に怖くなって帰ってきたみたいです。

 ところがもう神様をお迎えした後です。祖母は家の中でカンカンに怒っています。

“必ず十二時前に家に帰ってくるようにあれほど言ったのに・・・”祖母は、門を開けないで永生を家に入れる方法が思いつかなくておろおろするばかりです。誰かが、永生に大声で叫びます。

“台所の窓から入っておいで、僕が手伝ってあげるよ”


 何という見事な解決方法でしょう。皆台所に殺到し口々に永生に指示します。でも窓は地面から高く永生にはとても届きません。色々考えた末、あの硬貨に当たったお兄さんに白羽の矢が立ちました。皆でお兄さんを抱えると、その小さな窓から突き出しました。お兄さんは外に出ると、永生を抱きかかえ家の中に送り込みました。その後、そこらじゅうに在るものを手当たりしだい積み上げてその上に登って何とか窓から帰還しました。

 このようにして全員の知恵を振り絞り三十分ぐらい掛けて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をした永生を無事家の中に救出する事ができました。皆ほっと一息つくと同時に、顔を見合わせて大笑いしました。

 祖母はため息をつきます。“せっかくいらしてくれた福の神様が窓から出てしまったかもしれないねえ・・・”

 何はともあれ、大晦日はこのように過ぎていきました。この話は、以後毎年お正月になると持ち出され笑い話の種になります。

現在も神様を迎える伝統行事は行われていますが、当時のような真剣さはなくなりました。今の子供達は大事にされているので、一人で外に出て爆竹遊びをするなど考えられなくなりました。

私が大人になったせいもあるでしょうが、春節も当時ほど面白くなくなった気がします。

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2006/07/14

14.爆竹遊び  続

 思ったとおり、神様を迎える準備はすっかり整っていました。台所では水餃子用のお湯は沸き立っていて、凍った餃子が入れるばかりになって脇に置いてあります。

“全員ちゃんと家に戻っているかい?”祖母は時計を見ながら聞きました。

私は小さな声でつぶやきました。

“永生がまだ戻ってないかもしれないよ・・・”私はそのとき、何時間も外にいて、体中氷のように冷え切っていたのと、疲れ切っていたのが合わさって、暖かい部屋の中でとても眠くなっていたのです。私の声は周りの喧騒の中でかき消されてしまいました。

 “十、九、八、・・・・・”テレビでは新年を迎えるカウントダウンが始まりました。おじさん達はマッチを握り爆竹に火をつける体勢に入りました。おばさん達も、鍋に餃子を入れるばかりです。“・・・三、二、一!”テレビから新年の鐘の音が響きます。同時に耳を聾すばかりに爆竹が鳴り響きます。一時(いっとき)、外は紅(くれない)に包まれます。

 “餃子の準備ができました!神様家にいらして召し上がってください!”おばさんが大声で叫びながら餃子を鍋に入れます。 祖母は玄関の戸を開き、爆竹のにぎやかな音と、餃子のおいしそうな匂いで神様を家に招きいれます。私も付いていって、神様が空から降りてくるのを見ようと待ち構えます。でも空はいつもどおりの空で何の変化も起こりませんでした。

 餃子が煮えて、入り口近くに設けられたテーブルには山盛りに神様用の餃子が置かれ、お酒も並々と注がれます。

 あわただしい時が過ぎ、神様も家の中に入られたころあいを見計らって祖母は、玄関の戸締りをします。そして重々しく宣言します。

“明日の朝まで誰も玄関を開けてはいけません。神様が家においでになるのですから、気が変わって外に出られないようにしなくちゃね!”

 皆やれやれ一段落といった表情でそれぞれ椅子に腰掛け、餃子を食べ始めようとしました。この時、誰かが叫びました。

“永生は?何でここに永生がいないの?”

“永生はどうした?永生は未だ戻っていなかったのか?”部屋中再度爆竹が点火したみたいに大騒ぎになりました。

 私は一日の疲れからそれまでうとうとしていました。目はぼんやり餃子を見ているのですが、頭の中には奇妙な形をした神様が浮かんでいたのですが、はっと現実に戻されました。

“永生は未だ外だと思うよ・・・”

                                                 ( 続く)

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2006/07/07

北朝鮮ミサイル発射実験に思う

窮鼠猫をかむ。

一寸の虫にも五分の魂。

日本が太平洋戦争にのめりこんでいった歴史を想起してしまいました。

満洲領有に対する各国の強い反発。

国際連盟脱退。

アメリカ等による石油輸出の禁止。

経済の血液を絶たれた日本は絶望的選択をしました。

真珠湾攻撃・・・。

この成算のない暴挙によって、日本国民数百万の命と明治維新以来営々と築き上げてきた富は灰燼に帰しました。こういう瀬戸際で国民は体制を選ぶ権利があったでしょうか。

結果は政策決定になんら責任のない民衆の多大な犠牲であり、支配体制は最後までいかに従来の体制を護持するかに腐心しました。

今、経済制裁が取りざたされていますが、それによってもたらされる経済的疲弊の最大の犠牲者は往々にして罪のない民衆である事を考えての発言なのでしょうか。歴史から学ぶ事は多いと思います。

それにしても経済の中で、軍需産業が占める割合が高い国家の政策決定の危うさを感じます。これは国家規模の大小を問いません。軍需産業に利益をもたらす政策が採られ、意図的に世界の平和の足元を掘り崩そうとしている様にさえ見えてしまいます。日本はこのような動きに組込まれないように最大限に用心すると共に、他の周辺国と連携を図り、軍需産業から平和産業への脱皮を支援していく事が遠回りのようでいて、実は一番実効の有る政策だと思います。

いずれにしても今回の危機が、平和裏に乗り越えられる事を切に願います。

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2006/07/04

姫小百合

毎日はっきりしない天気の中、心待ちにしていた姫小百合を見に出かけた。福島県南郷の高清水自然公園。公園といっても以前からの自生地を皆で守り育てて保護しているということで、7haに広がる山の斜面を、淡いピンクの可憐なユリが埋め尽くしている光景には一瞬息を呑んだ。淡いかすかな芳香も漂い長旅の疲れもいっぺんに吹き飛ばしてくれる。

さっそく写真を、と思ったが高原を吹き渡る爽やかな風にもゆらゆらと揺れ、なかなか焦点が定まらない。ユリの花の名前がそもそも揺れるの古語<揺る>の連用形<揺り>から来ているとの説がさもありなんと思われてくる。ちなみに連用形が名詞化する例は遊び、笑い、話、など良く見られる使われ方だ。

姫は小さいとか、可愛らしいという意味で植物名に良く見られる。当然それより大型の本来の植物があるわけで、小百合、一般的には笹ユリといわれている、関西によく見られるゆりの小型系という意味での命名と思われる。見かけだけでなく笹ユリが寒冷地に適応して変化したもの(あるいは姫小百合が暖地に適応化して笹ユリ?)という説もあるという。

0607_021 それにしても見事な大群落だ。部屋の中に一輪あっても部屋全体がパッとはなやかになる美しい花がこんなにさりげなくたくさん咲いている中にしばし浸っていられるだけでもとても幸せな気分になる。日本もまだまだ捨てたものではないという元気が沸いてくる。

ここから車で数十分移動した駒止湿原でも、予想を超えた見事な綿スゲの大群落Watasugeが待っていてくれた。直径2cmぐらいの綿飴のような、綿スゲの種が一面に広がり、周りの緑と、おりしも顔を出した青空がどんな名画も超える風景を作り出してくれた。

湿原全体が天然記念物に指定されているという事なのでしかられるのを覚悟しながら、恐る恐る一寸綿毛に触 れてみた。思っていたよりしっかりした感触で、犬の毛玉のような感じがした。これがタンポポの綿毛のように一斉に風で舞い上がった情景を見てみたい。   

W杯も4強まで絞られてきました。勝ち進んできた強豪同士の激突に、ただただ目を見張っています。先日の準々決勝でのジダンの活躍、ベッカムの涙に精魂かけた闘いの美学を見た感じでしたが、今朝ニュースで知った中田英寿の引退報道にも驚きと共にある種の潔さを感じました。

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