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2006/07/24

ヤマユリ(山百合)

今郊外を歩くと、いろいろなところでヤマユリに出会える。おとぎの国からやって来たような大輪の豪華な美しい姿、そしてむせ返るような芳香。夏休みの楽しい思い出に必ず登場してくる懐かしい花だ。

近所の里山を歩いていると、遠くからも白く浮き出て見える一角があった。近づいてみると、竹林の一部を切り払った斜面にヤマユリが群生していた。土地の人の話では、昔はこんな風景はそこらじゅうに普通に見られたらしい。今は、意識的にその一角を保存しているという。

群生地こそ珍しくなったが、一株、二株のヤマユリが林縁から顔を覗かせている姿は今でもよく見かける。

“ああ、夏なんだ!”その度に甘酸っぱい感傷にも近い気持ちになる。

先日、ヤマユリの群生に出会えると聞き武蔵森林公園を訪ねた。広い森林の林床に点々と白く浮き出るようにヤマユリが咲いていた。一株に一輪 、二輪とひそやかに咲く姿はまたそれなりの趣があった。 

_036 道なりに進んでいくと、ぱっと開けた草地に出た。梅林の脇に広がる広場で低い草丈の藪の中に、ヤマユリが群生していた。株ごとに十数個の花をつけ、あのむせ返るような匂いで辺りを圧倒していた。しばし声を呑んで立ち尽くした。私の今までのヤマユリの花の記憶のすべてを凌駕する圧巻の光景だった。

これぞ、ヤマユリ!夏のぎらぎらした太陽光線の中で、精一杯命を躍動させている姿こそ似つかわしい。

ヤマユリを庭で育てるのは難しいという。事実私も何回か試みた事があるが、余り芳しくない。そもそも他のユリに比べて球根の値段が高い。一時私も夢中になった、あのカサブランカより高価だ。秋の終わりに、数個購入して庭に植える。春さき芽が出ているのを見つけ喜ぶ、ある日気が付くと虫にきれいに食べられていて茎の一部しか残っていない。大抵夜盗虫の仕業である。悔しがっても後の祭りで、また一年棒に振る事になる。これを数回繰り返すと、大抵あきらめてしまう。

ある年の年末、正月料理の材料売り場で、ユリ根が売られていた。園芸店で買うよりはるかに安い。私は大喜びで数パック買い、家に帰ると庭の日当たりの良い一角に植え、開花を楽しみにした。春になり芽が出て、すくすくと育ち夏になり、たくさんの蕾をつけた。最初の一輪が咲いたときビックリした。それは目にも鮮やかなオレンジ色だったのだ。本で調べると、それはオニユリ(鬼百合)だった。私がユリ根はヤマユリの球根と、勝手に思い込んでいたのが間違いの元だったようだ。今は鬼百合が主流らしい。

しかし、鬼百合もそれなりにきれいだし、蜜が豊かなのか、たくさんのアゲハチョウが訪れてくれた。そこまでは良かったのだが、それ以後、庭にある金柑の木にアゲハチョウが産卵するようになり、アゲハチョウの成長を見守るか、金柑の木を守るかのつらい選択に毎年悩まされる事になった。ここ数年は、数匹のアゲハチョウの幼虫を残すというところに落ち着いている。

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