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2006/12/08

イチョウの木  

Ityou  昨日はぐっと冷え込んだ。一日中冷蔵庫に入っている感じだった。TVによると今朝の都心と郊外の気温差は7度近いという。都心では未だ見ごろの紅葉も、我が家の周辺ではもうピークを過ぎ、例年にくらべ遅れぎみだったイチョウの黄葉もあらかた散ってしまった。季節は晩秋から、初冬へと確実に歩を進めている。

 これは、2日前に書いた文章だ。いざ投稿しようとしたらメンテナンス中との事。プロバイダーサイドとしては技術的改良を心がけてくれたのだろうが、もう少し利用者サイドの事情を考えてくれても良かった気はする。今読むと少々間が抜けてしまったが、全体的には余り改変する必要も感じないので、そのまま投稿することにした。

 イチョウの思い出は、私が東京へ引っ越してきた時から始まる。あの炒って翡翠(ヒスイ)色に変化した実のおいしさを思い浮かべながら、ある時木の下に落ちている実を袋にいっぱい拾った事がある。しかも素手で・・・。その結果何回洗っても落ちない強烈なにおいが手にこびりついた。あとで友人から、割り箸で拾いその後、土に10日間ほど埋めておくときれいに実(ぎんなん)だけになると教えられた。

東京ではさして珍しい木ではない。公園、街路樹、大学の構内などいたるところで目にする。春のソメイヨシノ、秋のイチョウという感じだ。

以前、知り合いから聞いた話だが、新居の庭に木を植えたとき、植木屋さんに珍しい木があると言われて植えた木が、コナラだったという。里山では最もポピュラーな木だが庭木としては余り扱われないのだろう。

それに対しイチョウは自然界では、中国にわずかに自生種が存在しているという絶滅危惧種の最たるものだ。どうやら都会の樹種は、自然とだいぶ様相が違うようだ。

ここでざっと植物の歴史を振り返ってみたい。

太古(30億から42000万年前)、光合成を行う生命体、すなわち植物は海で生活していた。一部が陸に上がり古生代(41000万年から25000万年前)シダ(羊歯)植物として大繁栄を遂げる。しかし地球の乾燥化が進み胞子生殖(乾燥に弱い)の欠点を克服した裸子植物(胚が種皮で包まれているー胚珠)が主役となり、それを食料とする恐竜と共にわが世の春を謳歌する。

次に胚珠を更に心皮(子房)で覆ったもの、すなわち被子植物が登場する。心皮は花となり花粉や蜜をつくり、あるいは果実に変化して虫や動物に食料を提供する事により、植物自身の花の受粉や種子の散布を手伝ってもらうという共生に成功し、次の時代の主役を担うことになる。新生代第三期(6500万年から170万年前)のことであり、この流れは現在まで続いている。

裸子植物でも針葉樹の種子は松やカヤのようにリス、野鼠などの食料になり広範囲の散布が可能だったが、イチョウはどうもあの強烈な匂いが、食べられる危険から種子を守るものの、広く散布する可能性を拒否してしまったように見える。

それもあってか裸子植物であるイチョウは衰退の道を辿る。化石の研究によると中生代(24000万年から6500万年前)には南北両半球に広く分布していたのが、新生代には北半球に分布が限られるようになる。日本では200万年から100万年前の地層から出てくるのが最も新しいという。

しかし中国最後の生き残りが人間との共生というあらたな道を見出したようである。日本に渡来してこの傾向はますます強まる。大陸文化に伴って日本に渡ってきたようで神社や寺院の境内には大事に守られて巨木になったものが多い。特に近代以降は新しい都市景観の中に積極的に取り入れられた。イチョウの未来は良くも悪くも私達の未来と重なってしまったようである。

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