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2007/02/26

これって産直?!

ここ数週間ノー天気を自称している私も少々落ち込んでいました。しかも原因が自分で作った本なのですから世話はありません。自業自得といわれればそれまでです。

 話を遡れば8年前になりますが、端折って昨年の事から簡単に振り返ってみます。

 ブログでつづって来た自分史を、本にするにあたりやはり思想的にも共感してくれるところをと探して、知人の紹介で見つけた出版社でした。できた本も大体において満足できるものでしたので、販売も1年間全面的に任せました。昨年末に経過報告をしてもらったのですが、納得いかない点があったので、第三者に入ってもらった話し合いの場を設定したところ、突然販売契約の打ち切りと、在庫返却が通告されました。寝耳に水ではありましたが、宅配業者さんが本の持って行き場がないと困るようなので引き取りました。

 しかし突如できた本の山に、私もしばらくはどうしていいか分かりませんでした。息子はベッドにでもしたらとからかいます。厚くて面白くない本の事を、枕にするとよく言っていたバチが当たったのかもしれません。なるべく目をそらし考えないようにしていたのですが、やはりこのままほっとくわけにも行きません。

 勇気を出して、何社かの取次業者に電話してみました。答えは出版社との取引以外には応じないというもので、ますます意気消沈し、個人の無力をいやでも感じさせられました。しかし捨てる神あれば、拾う神ありで“アマゾンのE託販売サービス”は個人も対象らしいよと教えてくれた人がいました。

さっそくネットで調べると、機械オンチの私でも簡単に登録できました。今まで一寸斜めに見てきたアマゾン様さまです。

 これって考えてみれば野菜ならぬ、本の産直ですね。個人がやりようによっては世界を相手にできるってアル意味すごい事だなあと感じ入ってます。

ブログで拾い読みしてお気に召して購入してくだされば幸いです。また購読して面白いと思った方が知人の皆様に紹介していただけたらもっと幸いです。又感想や批判何なりとコメントでお寄せください。

追記  先日、出版社サイドとの話し合いがもてました。どうやら私の誤解が行き違いの出発点だったようです。色々ご迷惑おかけしました。

 本の販売形態は、今の“産直”方式も利点があるので、このまま続けようと考えています。

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2007/02/20

ウメ (梅)

Ume1 今年の梅の開花は早かった。梅といわず、いろいろの花木の開花が前倒しになり、暖冬をいやでも実感する。

温暖化のストレートな表現なのか、細かい波の一つなのか分からないが、素直には喜べない。


 例年だと、寒さの未だ厳しい中、一輪、二輪とかすかな芳香を伴い開花する白梅に春の遠からず来ることを予感し、光がそういえばずいぶん明るくなってきたなと感じたものだった。それからだいぶたって、我が家の庭の八重のピンクの梅も咲きそろった。

 それが今年は、あちこちの梅の開花情報に誘われ、見て回るうちに、我が家の梅もいつの間にか見頃を迎えている。

 ウメは花としても、実としても日本人の生活のなかに溶け込んでいる。梅干といえばおにぎりの具の定番だし、私の経験では体調が悪い時でも、ご飯と梅干だけは受け付ける。夏の飲料といえば幼い頃からずっと梅酒と麦茶だ。

 しかし私が花それ自体を観賞するようになったのは、あんがい最近かもしれない。日常の雑事に追われていると花をしみじみ見る余裕もなかった。

各地の梅の名所も、実梅林起源のものが多いようだ。近くの里山には、未だ現役バリバリの実梅林が幾つかある。わざわざ見にくる人もいないのだが、風に乗って遠くまで花の香りが漂い、満開の時は、一帯が白雲に包まれたようで美しい。メジロやホオジロなどが枝を飛び交い、田舎のよさを満吃できる。

 こんなに日本人の生活に溶け込んでいる梅だが、中国の南西部が故郷のようだ。奈良時代に薬用として渡来したというが、同時に花を愛でる文化も渡来したようで、万葉集には在来のハギを歌ったものに次ぐ、118首が詠まれているという。

 

 わが園に梅の花散る

      ひさかたの天より雪のながれくるかも               (大伴旅人 730年)


  東風ふかばに匂ひおこせよ梅の花 

      あるじなしとて春を忘るな  

                                      (菅原道真 901年)

  前者は散る花びらを雪にたとえて美しい。後者は平安時代に詠まれたものだが、作者の悲しみが読む人に伝わってくる。

 本家中国でもこの二つの潮流が見られる。

   

 疎影横斜水清浅  暗香浮動月黄昏。 宋 林逋 

  

  澄んだ水面に枝影映し、

     ほのかに香り漂う朧月夜

   

 故山風雪深寒夜 只有梅花獨自香。 宋 朱熹

  吹雪のなか深夜家路に向かう、

     梅の花のかぐわしい香りが迎えてくれた


 花と枝ぶりの美しさ、芳香、寒さのなかで咲く強さ。古来多くの歌に読まれ、愛されてきた。


 特に近代においては、民族としての存亡の危機のなかで、寒さに屈することなく、凛として気高く咲く姿に自らの理想を重ねた人も多かった。1911年、辛亥革命で成立した中華民国の国花とされたのも、当時の中国人の気持ちが投影されたのだろう。


 その後、中国本土には中華人民共和国が成立し、建国時の混乱も収まり、豊かな国づくりに励んでいるなか国花が制定されたという。牡丹、梅、蓮、菊、蘭の候補の中で梅派、牡丹派の間で議論伯仲したらしいが、最近投票で牡丹に決まったという。しかし梅人気はまだまだ健在で、女性の名前や、衣服の模様など多くの場面で目にする事ができる。

 訂正  最近国花が牡丹に決まったと紹介したが、実際にはまだ大論戦の最中で梅、牡丹両方を国花にという案も浮上しているという。

     

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2007/02/12

コガモ

 多摩川に久しぶりに行った。支流沿いにサイクリングする事10数分、小ガモと軽ガモが仲良く混じって泳いでいた。両岸も川底もコンクリートに覆われ野鳥たちには申し訳ないような人工的川なのだが、本流の分岐点も近いせいか、色々な鳥にお目にかかれる。黄セキレイや背黒セキレイを見かけたこともある。

 

Kogamo コガモは多摩川本流では何回か遠くで群れを見かけた。しかし数メートル先でのんびりとくつろいでいるのを見たのは初めてだった。おだやかな日ざしを受けて、目の辺りの羽毛が鮮やかな緑色に輝き美しい。カルガモに比べ二周りほど小さいが両者とんちゃくなく交差して泳いでいた。

本流との合流地点に近い、枯れ果てた葦原の茂みの中に、遠目にも鮮やかに青くKawasemi 光る点が見えた。近づくとカワセミだった。見ている間にも何回か水に飛び込み魚を採ろうとしていたが、空振りに終わっていた。

川岸の高木の梢の上にはノスリが置物のようにじっと止まっていた。私たちが弁当を開き、のんびり食べ終わってもまだ同じ所にいた。なかなか餌が見つからないのだろうか。

自然のなかで生きていくのは厳しそうだ。その点飼育されている動物はずいぶんと楽なものだ。毎日決まった時間に、十分な餌にありつける。外敵に襲われる心配もない。これだけを見ると、いいことずくめのようだが、実際には、飼い主の怠慢で運動不足になりやすい。

昨今問題になっている鳥インフルエンザについて考えてみた。殆んど身動きできない狭い空間に、自然の風や光から遮断されて押し込められ、ただ卵を生むことだけを期待される(卵を生む機械?)。ブロイラーにいたってはただ一定の重さに太る事だけを要求される。生命力も衰え病気にも感染しやすくなるだろう。そして成長促進剤や抗生物質の大量投与。更に弱まり、更なる薬の使用・・・・の悪循環。

このような何とか生きている状態で、何億年にわたる百戦錬磨のウイルス細菌軍団との勝負に臨ませても結果は火を見るより明らかであろう。病原体を地球上から抹殺できない以上、鶏たちに生命力を蘇らせ鳥インフルエンザウイルスに負けないよう育てる事のほうが、人間にとっても栄養価の高い、おいしい卵や肉を手に入れるたしかな道だと思うのだが・・・・。

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2007/02/05

ウソの季節

 今年は身近でウソにお目にかかれる。といっても、選挙活動期間を皮肉ったわけではない。鳥の話である。


先日ウソを近くの公園で見たという人がいたので、さっそく見に出かけた。昼下がりのひと時、風は冷たいので、ダウンのジャケットを着込み防寒対策万全で、目撃証言のあった公園のサクラの木の近くに待機する事三十分余り。カワラヒワは群れを成してこずえでにぎやかなのだが、ウソはさっぱり来ない。

その場を離れて、少し近辺の探索に出かけた。しばらく歩いているといたいた!二羽のウソがのんびりとした風情で桜の花芽をついばんでいた。首に赤みがないのでメスだと思われる。ここ数日、梅の花はかなりあちこちで咲き出したが、サクラの蕾はまだいかにも固そうだ。

以前、早春の高尾山で五分咲きの桜の木で、ふっくらとしたピンク色の蕾を食べているのを見た事があるが、いかにもおいしそうに見えた。しかし、今の時期未だ余りおいしそうにも見えない。

この冬の食糧事情の悪さの反映なのかもしれない。今から食べていたら、開花の頃はだいぶ花数が減って、各地の桜の名所地の人からまた恨み節が聞かされるかもしれないな・・・。ま、熊のように人命にかかわる問題でないので、大目に見て欲しい。

ちなみにウソという名前は、うそぶく(嘯く=口笛を吹く)から来たと言う。鳴き声が、口笛に非常に似ているためという。以前は、梅づくり農家からは摘果代わりになり、いい実をつける手伝いをしてくれると感謝され、大事にされたという。

だいぶ前の話になるが、食料増産に励んでいた中国で、せっかく実った米を食べるスズメを害鳥と目の敵にして、国を挙げて撲滅運動を繰り広げたという。その結果、翌年から害虫が大発生をして稲作は数年にわたり壊滅的打撃を受けたという。その後スズメは益鳥として見直され大事に保護されるようになったらしい。

物事を短期的一面的に考える事の危うさを教えてくれる話だと思う。自然に関しては多面的長期的観点が必要とされるということだろう。人間とて自然の一部である。総合的に考えてもらいたい。

先週、国会は一閣僚の問題発言で紛糾した。

“女性は子供を生む機械である”

一面では、真理をついているのかもしれない。同様に夫は、給料を稼ぐ機械であると考えている妻もいるであろうし、労働者は利益を生み出す機械である、と考えている経営者もいるであろう。株取引は情報を握っているものが、一般の庶民から金を巻き上げる便利な機械である、と考えている投資家も当然いるであろう。

ある意味、現代社会そのものが、多くの社会・自然現象を“機械化”する事に血道を上げてきたといえるのかもしれない。アメリカ社会はその最先端を突っ走ってきたのだろう。その後に必死で追いすがろうとしている今の日本の政権担当者が、多かれ少なかれ、“人間機械論”の影響を受けているのは当然といえば当然かもしれない。

この数年来、構造改革の名の下に、会社の人間関係は崩され、学校ではいじめが蔓延し、地域の経済、医療は瓦解してきた。毎日の人間らしい営みを壊していく事が“改革”と勘違いしているかのような惨状である。

問題にすべきは、一閣僚の失言の可否や進退ではなく、人間を“機械”、すなわち目的ではなく手段と捉える考え方により運営されている政権を私達が支持するかどうかということだと思われる。

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