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2007/03/26

スプリング・エフェメラル

日本語訳は“春の妖精”。これは少女マンガの題名ではなく、れっきとした植物学用語である。落葉樹林の林床で早春に早々と葉を出し、花を開き、木々の新芽が展開し新緑が林冠を覆いつくす頃、種子を実らせ根に養分を蓄え、葉を枯らし、来春までの深い眠りに付く。

カタクリ、イチリンソウ(一輪草)、イチゲ類、エンゴサク類、・・・・今年もまたこの花々の季節がやってきた。未だ寒さの残るこの季節、数少ない虫をひきつけるためというが、それぞれが実に美しい。冬枯れの木々、落ち葉が積もった林床に鮮やかなピンクのカタクリや、エンゴサクの目の覚めるような青を見つけたときは、本当に心ときめく。

春の妖精の代表格、カタクリの歴史は興味深い。氷河期が終わりを告げると共に、関東平野以西ではブナ、ミズナラなどの落葉樹は涼しさの残る山間部に後退し、その跡を暖帯系の照葉樹が埋めてきた。関東平野でも当然同様の流れが進行したため落葉樹林と共にカタクリが消えていくのは時間の問題だった。

しかし、縄文人が焼畑を始めた時期と重なった。焼畑の後は一般的に落葉樹林になるため、カタクリは早春の光を利用し続けられた。氷河期の忘れ物といわれるゆえんである。稲作の渡来普及期にも、“雑木林”は薪炭林、里山等々として大事に守られ続けた。

このように歴史の偶然により残ってきた関東以西のカタクリの群生も近年急速に失われつつある。雑木林が使われなくなりアズマネザサなどが繁茂し、林床に光が届かなくなったためという。

カタクリが実生から花を咲かすまで7年かかるという。自然破壊は一瞬にしてできるが、一度失われた自然を取り戻すのには多くの時間がかかる。自然と人間の歴史の奇跡の贈り物“春の妖精”を大切に守りたい。

妖精といえば、世界フィギュアの日本選手の活躍には目を見張った。正に氷上の妖精とも言える華麗な演技を、ここ数日テレビ画面を通じ息を呑んで見つめ続けた。

演技終了後、全力を出し切った選手達の汗と涙、そして満足のいく結果に輝く笑顔は素晴らしかった。

能登半島で強い地震発生。

被災地の早急な復興を望みます。改めて日本が地震列島だということを想起させられました。いつどこで起きるか分からない以上、いつ起きても対処できる体勢を整えておく事が大事だと思います。

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2007/03/19

こぶしの花

  近くの里山を歩いた。ここ数日風が冷たくて又冬に戻ったような感じだが、自然は着実に歩を進めている。小高いところから眺めると、少し前まで、梅林が白く浮き出て見えたのに代わって、今はこぶしの木が、少しくたびれた常緑樹や、まさに新芽が展開を始めようとしている落葉樹の林の中に白い花をつけて点在して見える。

亭亭白 悠悠碧空 微微南来
木蘭花(こぶし)
開山崗上 北国之春天 

啊北国之春天已来
城里(都会〉不知季
節変換
妈妈(母〉猶在寄来包裹 送来寒衣御
啊故 我的故 何能回你 

これは今中国で人気の歌で、カラオケの定番という。春未だ浅い他郷で故郷を懐かしむ歌だ。臨海部に限られていた建設の息吹が全国に及び、地方から出稼ぎに都市に来る人、出張で他省に出かける人等々、中国で今故郷を離れ他郷で生活している人は一億人に上るという。厳しい寒さが緩みかけた時、ふと故郷を、懐かしい人を思い出す気持ちは誰でも共通のものなのだろう。 

この“北国之春”は実は日本の“北国の春”が中国語に訳されたものだ。したがって厳密に言えば木蘭花はこぶしではなく近縁のもくれんである。しかし春の到来を告げてくれる花として特別な愛着を持たれているのは日本と同じであろう。

   コブシのプロフィール

コブシはモクレン科の落葉高木で高さ15メートル以上になる。名前は果実が握りKobushi_2 こぶしに似ているためという。日本中の山野で見られるが、どちらかというと湿った平坦地を好むという。これによく似たタムシバは急斜面や尾根筋を好むというが、花は両者とても似ているため余り区別されていない。

 地方によっては、“田打ち桜”と呼ばれ、春の農作業の開始の目安にされたという。北国では春を告げる花として開花が待ち望まれたのである。

 モクレンは中国原産で古くから日本にも渡り、神社や庭園で大事にされている。

モクレン科には他に、東海地方固有のシデコブシや、芳香の有る大きな花をつけるホオノキ(朴の木)、タイサンボク、神社によく植えられているオガタマノキ、最近街路樹としてよく見かけるユリノキなどがある。

都知事選が近づいている。“よそ者”にも暖かい政治を行ってくれる知事さんになって欲しい。

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2007/03/12

東京をどうしたいか、私の提案。

 都知事候補の浅野史郎さんがマニフェストを公募している。有力候補の方だけに、もし参考にしていただけたら、実現の可能性も高いので、今まで思っていた多くのことからいくつか取り出しまとめてみた。

地震対策2016年のオリンピック東京開催は事実上ないだろう。したがって都民にとって今最も緊急で必要な対策は、大地震が来た時に如何に命を守るかだと思う。

阪神大震災 鎮火直後の航空写真によると消失した家屋に囲まれて、公園の緑の葉をつけた樹木が目を引いたという。

関東大震災 死者約6万人(9割が焼死)。

  広さ、周囲の状況がほぼ同じ2箇所の例を比べてみて欲しい。

    陸軍被服廠跡〈裸地〉避難者の殆んど(38千人)焼死

   旧岩崎邸(樹木が豊か)避難者(2万人)無事

これらの例から見て取れる事は、樹木の防火効果である。地震後発生した火事の延焼を防ぐため、まず公園、学校などの広域避難場所に常緑樹の植樹をして欲しい。“鎮守の森”作りである。又民間とも連携して東京都全体に樹木を主体にした延焼防止網を構築して欲しい。

東京を国際都市へ

景観、機能的面も大事だろう。しかし何より心のありようが問われると思う。

平和は、相互理解の土壌に芽吹き成長する。小学校で今行われている、英語偏重の“国際化”教育を見直し、アジアの国々の言葉や文化に、より軸足を置いた、真に国際的視野を持った日本人を育てる時間にしてほしい。

他にも、食の安全、医療・老後の安心等々やっていただきたいことは山ほどあるが、より詳しい方々に提案していただきたいと思う。

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2007/03/05

“あなたを忘れない”

これは昨年、暮れも押し迫ったころ新聞広告で目にした映画の題名である。新大久保で2001年1月に起こったあの出来事の映画化という。ああそんな事があったな。世を挙げて自己中心の殺伐たる空気が淀んでいたあの時代、線路に転落した人を救おうとして、日本人と韓国の青年が亡くなった。悲しみと同時に、なんともいえぬ清涼の風が心を吹き抜けていった。


あれからもう6年も経ったのか・・・・。犠牲者のご家族の方たちは、悲しみから立ち直られたのだろうか・・・・。その後新大久保につくられたという慰霊碑を一度見に行ってみようかな・・・。

色々な考えが頭のなかを駆け巡ったが、その映画を見ようという気は起こらなかった。事実の存在感が余りに大きいので、下手にいじくって欲しくないという気持があったのかもしれない。

年末、年始とあわただしさのなかで、この映画の事は忘れてしまっていた。それが突如、わざわざ新宿まで見に出かけることになったのは、友人の誘いによる。

“無料券があるの。有効期間もう直ぐ切れるから、よかったら見にいきましょうよ!”

無料、期限切れ迫る…この言葉は利いた。さっそく私は新宿の歌舞伎町近辺の映画館に足を運んでいた。

危惧していたような、プロパガンダ調も余り感じられず、素直に物語に入っていけた。日本に来た一人の韓国人留学生が、それなりの苦労を経験していく中で、一人の日本人女性との愛をはぐくみ・・・・・ああ、しかし私達は結果を知っているのだ。この恋が決して実らない事を・・・。

後半は涙が次から次に頬を伝い、ぬぐってもぬぐってもあふれ出て、口を押さえ嗚咽を飲み込んだ。最期の場面を見終わった後もずっとエンディングロールを見ていた。イ・スヒョン(李秀賢)さんの死が切なかった。突然愛する人を失った人々の気持ちが痛いように伝わってきた。がそれ以上に人間への信頼を呼び覚まされた。

この文章を書くにあたって、他の人の意見も参考にしようと思って、ユーザーレビューを覗いてみたら意外に辛らつな批評が多いのにビックリした。どうやら親しくなった日本人女性とその家族に関してはフィクションだったみたいで、私もそれを知った時、拍子抜けしてしまった。あの時流した涙はナンだったのだろう。

といって私の気持ちは余り変わらなかった。韓国に付き合っていた女性がいたという。その女性の悲しみは、映画のなかの日本人女性の悲しみに決して引けは取らないものだっただろう。ご両親の悲しみは、察して余りある。

一方ユーザーレビューで批判している人の意見のなかに同感できるものもあった。このような重い、感動的出来事を、安易に脚色して、商業ベースの娯楽作品にすべきでない事、もしどうしても作りたかったなら、“李青年の事跡を忘れたくないので物語にしました。内容にはフィクションが含まれています”と明示すべきであったと思う。

とはいっても作品に流れている日本と韓国の友好を望む気持ちにはさほど抵抗を感じなかった。35年にわたる植民地政策のなかで日本がやってきた数々の過ちは歴史的事実なのだし、過去の負の遺産を乗り越える努力は、日本側が本来は誠心誠意やるべきものだと思う。

しかしあえて言えば、この種の話は、余り美談化して欲しくない。その事跡に感動した人の中から類似の行為を行う人が出てきて、かけがえのない命をなくして欲しくないし、その人の周囲にいつまでもぬぐえない悲しみを生じさせないで欲しいからだ。

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