« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007/04/30

サクラと日本人  続

前回で見たように、水田稲作の開始(弥生時代)とともに数千年にわたり私達日本人と一緒に歩みを続けてきたと思われる桜だが、奈良時代に編まれた我が国最古の歌集、万葉集では梅に比べ桜は陰が薄い。

花粉考古学によると奈良(なら)の平城京跡からは、ムクゲ(芙蓉の仲間)の花粉が出土するという。韓国の国花がムクゲであるように、ムクゲは古来朝鮮民族に非常に好まれてきた。大和朝廷の創始者が、朝鮮半島からの渡来者という説が有力だが、花の好みからも朝鮮文化の影響の強さが伺える。万葉集に登場する朝顔は一説にムクゲのことという。

日本に定住した大和人によるナラの都の建設には、吉野山の原生林が大量に切り出され、二次林の雑木林に山桜が育ち、咲き誇るのにさほどの時間は必要としなかっただろう。次の平安時代に編纂された古今集では花といえば桜である。大和人の精神的な土着化が進行したのだろう。喜びにつけ悲しみにつけ、桜に託して歌われた。

戦国を統一し久々に平和をもたらした豊臣秀吉は生涯の集大成として、吉野の桜のもと盛大な花見を催している。

この後も、政治の中心の移動によるもの、村の人口の増加など様々な理由で周辺の開発が行われ、原始の森は伐採され、雑木林が誕生し、桜が人々の目に触れる機会が増える。

関東の未だ葦原が広大に広がる地に江戸幕府が開かれ、新田開発、農地の開墾を通じて周辺に桜の名所が誕生する。お花見は江戸時代を通じて庶民の最大のレクレーションとなる。

この流れは明治時代にも引き継がれたと思われる。桜は一貫して、日本人の生活の豊かさを実現していった喜びの象徴だったのではないだろうか。

それが一時期とはいえ、アジア侵略政策に伴い、国家(時の権力者)に日本人の命を粗末に扱う象徴として使われたのは、桜にとって迷惑この上なかっただろう。戦後お花見が復活するが、年々大きく育つ桜の木を見るに付け、この平和がこれからもずっと続く事を願わずにいられない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/23

言葉の賞味期限

統一地方選挙戦を通じて、熱情を込めて多くの公約が候補者により語られた。また当選者の言葉からも、これからの重責に対する真摯な意気込みが感じられて好感が持てる。願わくは、これらの言葉の一つ一つが輝きを失わずに、今後4年間の賞味期限を全うして欲しいし、私達、選んだ側もきちっと経過を見守っていきたい。

 

 言葉といえば、前回紹介した中国江南の旅でも忘れがたい経験をした。

観光地のとあるレストランでの事。当地の名物料理をたらふく食べ、みな満足してくつろいでいた。私はウエイトレスさんに頼みたい事があったので、大きな声で“シャオチエ(小姐)”と呼びかけた。彼女は笑顔で用件を聞いてくれた。それを見ていた、同席の上品な初老の夫婦の旦那さんが、私をお手本にした。“シャオチエ、茶をもう一杯お願いします”茶碗を指差しながら言ったので十分通じたと思われた。

ところが、ウエイトレスさんは極めてつっけんどんだ。初めは聞こえていない風を装い、二度目にしぶしぶお茶を注いだ。

以前、中国の国営企業のサービスが悪いのには定評があった。しかし最近は、見違えるほど、接客態度がよくなったと聞いていたので、私は一寸がっかりした。地方はまだまだ遅れているのかな。

この経験を、帰国後中国人の友人に話した私は、回答を聞いて顔から火が出る思いがした。


前回もふれたが中国に初めていったのは、文革期だった。革命前の悪習一掃に国を挙げて取り組んでいた時期なので、男女差別、身分差別にも厳しい批判が注がれていた。それは言葉にも表れた。敬称はすべて“トンチー(同志)”に統一されていた。私達旅行者も簡単だった。

次回行った時は、価値観がひっくり返っていた。資本主義に“汚染”されていた地域、台湾や香港の言葉がもてはやされていた。台湾で未婚の女性に対する敬称“シャオチエ”は、洗練された今風の言葉とされウエイトレスさんの呼称として、最もセンスがよいと教わった。

そして今回、私は前回の知識のまま訪中してしまった。ところが今“シャオチエ”は、日本男性が風俗関係の女性を呼ぶ言葉に堕していた。一般の中国人女性、とくにサービス業に従事している女性にとって、日本人男性に呼ばれたくない言葉のダントツに上り詰めていたのだ。ウエイトレスさんの呼称としての賞味期限が完全に切れていたのだった。

私の頭の中に30年ほど前の、台湾旅行での一場面が浮かび上がってきた。

当時、国民党の戒厳令下、日本政府は蒋介石と手を結び、一般の台湾人が抑圧されている実情にはきわめて冷淡だった。新中国に対抗するための政治目的が先行していた。

台北から程近い観光地を台湾の友人の妹さんに案内してもらった時のこと。向こうから明らかに日本人男性と分かる二人連れが歩いてきた。服装は妙に派手で、態度は横柄で浮薄な表情は明らかに周囲から浮いていた。私は見たくはないものを見てしまった気分の悪さで、せっかくの観光地めぐりの楽しさが消し飛んだ。

当時、マスコミでも、台湾や東南アジアでの日本人男性の買春が現地で顰蹙を買っていると非難されていた。人呼んで買春ツアー。私とは別世界の話と思っていた。

それから十数年後、再度この手の話題がマスコミをにぎわす事になった。今度はこともあろうに買春の相手が、自国の未成年者となっていた。人呼んで援助交際。いい加減にしろ!

そして今、中国か・・・・。戦争中、金の代わりに銃剣で行った女性にたいする冒涜の歴史の反省さえ未だあいまいなまま、又性懲りもなく醜態をさらけ出している・・・・。同じ日本人として本当に情けなく恥ずかしいと思う。日本人男性の少数部分とは思うが、反省能力に問題があるように思われる。

戦時中の日本軍による、“慰安婦”という形での占領地女性に対する人権蹂躙に対する反省が、数日前わが国の首相により再度確認された。これが数日、あるいは数ヶ月の賞味期限でないことを望みたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/16

江南の春

    江南春    唐 杜牧
  千里鴬啼緑映紅  鶯の囀り響き渡り、新緑赤い花に映え
 
水村山郭酒旗風 水郷に山村に居酒屋の旗そよぐ
  南朝四百八十寺 
南朝の古都、寺院実に多し
  多少樓台煙雨中 あまたの仏閣、春雨に霞む

Koushuu_3  江南とは長江(揚子江)下流の南岸一帯を指す。温暖で水が豊かなため、古来稲作を中心とした穀倉地帯で独自の文化が栄えてきた。それに対し長江以北は乾燥気味で作物も小麦中心、ラーメンなどの麺類や餃子・万頭が主食であった。また遊牧民を通じて西方の文化的影響も強い。

日本人はどちらかというと江南文化の影響が強かったのではないか。私自身も“江南”と聞いただけで何とは無い憧れを感じてしまう。

43日から7日まで、江南地方めぐりのツアーに参加して、新緑の水郷地帯を満喫した。 Suigou_1  

杭州、蘇州、上海等盛りだくさんの日程だったが、6日(土)以外は平日でもありあまり混まず、期待以上に収穫があった。

上海周辺は文革後期、改革解放初期、今回と三回目の訪問になるが、中国が、幼年期、少年期を経て青年期に入ったのを実感した。成長の力強さに圧倒される。特に移動途中の郊外の変容には目を見張った。

以前、車窓から眺めると延々と菜の花畑の続いていた地域は、高速道路が広々とまっすぐに伸び、周囲は緑地帯というより緑地林を目指しているのだろうと思えるほどの植林がなされている。

又以前みられた、レンガ造りのいまにも崩れそうな農家は、3.4階建ての瀟洒な民家に変わり、ところどころに広大な新工場が建設されている。

Nouka 菜の花畑自体も、ところどころに点在しているだけだ。政府が栽培を補助してもそっぽを向かれるという。今は見渡す限りの農地で苗木が育てられている。メタセコイア、クスノキ、ヤナギ、・・・・・・・・・・・・。

“ニシン御殿”“スケソウ御殿”ならぬ“苗木御殿”の林立である。2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博開催準備が後押ししているという。

 かって日本の侵略、国共内戦等により荒れ果てた大地が緑に覆われた大地に生まれ変わろうとしている。

 先ごろ訪日した恩家宝首相にインフラ整備の協力を求められた日本政府が、企業の短期的思惑で二の足を踏んでいるという。情けないと思った。侵略戦争の反省を口にするだけで行動が少しも伴わない。選挙期間中だけの“反省猿”といい、口先だけ、は日本の現在の政治家の芸風なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/09

浅野さん、ご苦労さまでした!

石原都知事継続か三戦阻止か。きわめて有利といわれた現職に誰が挑戦するのか。ココで何人かの有力な候補が出現し、調整して一本化できる情勢でなかった事に、反石原陣営の敗北のそもそもの原因があったと思います。浅野さんがこの困難な状況の中で敢えて出馬に踏み切ってくれた勇気に感謝します。又選挙活動を通じて、石原後に強力な基盤を作ってくれたと思います。ただ今回の勝手連運動は、もっと広い無党派層の参加ができる形を考える必要があると思いました。

ところで何故石原さんじゃダメなの?息子に聞かれ面食らいました。当然過ぎる自明の理だと思っていたので、一瞬詰まりましたが改めて考えてみました。

身内優遇・・・・・公職にある人間としてモラル違反。

差別発言・・・・・倫理観に問題がある。

週休四日・・・・・体力が続かないなら辞職すべき。

五輪誘致・・・・・実現性がきわめて少ない。等々。

 これらは、個人的好悪にはきわめて重要な意味を持ちますが、政治的選択としては決定的なものではないかもしれません。

日本の首都東京。政治・経済・文化の中枢にして国富がいながらにして流れ込む。その富をいかに都民の間で分配するか。結局、一番の争点はそこにあったのだと思います。

 公共事業を盛んにし、大企業の利益を増大させ、関係者に利益還元させるか。あるいは低所得者、中間層の生活を守る事により民需を盛り上げ経済的に豊かにするか。そのどちらに重点を置くのか・・・・。

ところが実際の選挙戦を見ている限り、この辺の争点は後半少し浮かび上がってきただけだったように見えました。

また今回特に感じたのですが、選挙期間に入るや、マスコミ、インターネット等々皆、猿轡でもはめられたような、言いたいこともいえない窒息感に覆われた感じがしました。選挙期間に自由に意見が発表できなくて一体いつ言えるのでしょう。候補者の意見を聞きたくても、演説会場に足を運ぶか、早朝や深夜の政見放送を聞くしかないし、マニフェストも一般の人が手にする機会は極めて少なかったと思います。

何しろ、一番必要な時に、情報が極めて手に入りにくくなってしまうのです。これでは在任期間中が、ある意味選挙活動期間とも見なしえる現職がきわめて有利になるのは当然と思います。事実、今回9都道県で現職が全勝しました。ただでさえ権力を握っている者が有利なのですから、挑戦者が挑戦しやすい制度を保障しなければ、政治は容易に停滞し、腐敗するのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/04/02

サクラと日本人

この季節、日本列島はサクラの開花情報に振り回される。私も例外ではなく、一番きれいな時にきれいな場所に花見に行きたいと待ち構える。

世の中に絶えて桜のなかりせば

       春の心はのどけからまし(平安 在原業平)

・・・の心境になる1週間余りである。

何で日本人は、こうもサクラ好きなんだろう?少し文献にも当たり考えてみた。

おもなサクラの関係は以下のように考えられている。


バラ科>サクラ属>ヤマザクラ(山桜)

                    ヤマザクラ・・・・関東以西

          オオヤマザクラ・・東北、北海道

                    オオシマザクラ -|・・伊豆大島

                  エドヒガン       _|-ソメイヨシノ


今日ではサクラといえばソメイヨシノ(染井吉野)と思われがちだが、このソメイヨシノの歴史は意外と短い。江戸末期、駒込の染井にある植木屋から売り出されたもので、当時のサクラの名所、吉野の名前をパクッたものの、吉野のサクラは主としてヤマザクラだったため、区別の必要から前に染井をつけたという。

生長が早く、育てやすい。葉に先行して花だけが一斉に咲き華やかなどの理由で植木業界でもてはやされる事になる。エドヒガン(江戸彼岸)とオオシマザクラ(大島桜)の雑種と考えられるが、不稔のため種ができず、挿し木・接木で増やすしかない。今で言うクローンである。

 幸い、片親のエドヒガンはサクラの中では長寿で知られ、樹齢1000年を越す現存の木もあるという。しかし接木を繰り返し、多くは街中という苛酷な環境の中で育てられているため、ある時全国一斉に寿命が切れて枯れ果てるという事態は覚悟しておいたほうがいいだろう。

 ソメイヨシノ以前、サクラといえば山桜であった。現在でもこの時期、日本全国何処に行っても、雑木林で春を華やかに告げている。

山桜は自家不和合性(近親婚を避ける)があり、個体差が大きい。花はふつう白色だが淡紅色、濃紅色と変化に富み、若芽も紅紫、褐色、黄緑、緑と木ごとに微妙に異なり、実に多様性に富む。これは自然界で種の存続に重要な意味を持つという。

 サクラは、生態学的には、先駆樹種(パイオニア)である。陽光を好み初期の生長が早い。森林が伐採された跡地にいち早く出現する。

日本列島に、農耕文化が芽生えていらい長い間、日本人が作った文字“畑”が火と田の組み合わせである事からも想像できるように、人々は原始の森に火を入れ、農耕地を開墾してきたのだろう。畑や家々の周りには山桜がいち早く芽生え、生活が安定した頃華やかな花を見せてくれる。


厳しい敵対者であった自然が、優しい保護者に変わった象徴であったのかもしれない。私達がサクラに感じる気持ちには、あるいは先祖のDNA(遺伝子)が組み込まれているのかもしれない。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^       “これって産直”のその後の報告。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »