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2007/04/30

サクラと日本人  続

前回で見たように、水田稲作の開始(弥生時代)とともに数千年にわたり私達日本人と一緒に歩みを続けてきたと思われる桜だが、奈良時代に編まれた我が国最古の歌集、万葉集では梅に比べ桜は陰が薄い。

花粉考古学によると奈良(なら)の平城京跡からは、ムクゲ(芙蓉の仲間)の花粉が出土するという。韓国の国花がムクゲであるように、ムクゲは古来朝鮮民族に非常に好まれてきた。大和朝廷の創始者が、朝鮮半島からの渡来者という説が有力だが、花の好みからも朝鮮文化の影響の強さが伺える。万葉集に登場する朝顔は一説にムクゲのことという。

日本に定住した大和人によるナラの都の建設には、吉野山の原生林が大量に切り出され、二次林の雑木林に山桜が育ち、咲き誇るのにさほどの時間は必要としなかっただろう。次の平安時代に編纂された古今集では花といえば桜である。大和人の精神的な土着化が進行したのだろう。喜びにつけ悲しみにつけ、桜に託して歌われた。

戦国を統一し久々に平和をもたらした豊臣秀吉は生涯の集大成として、吉野の桜のもと盛大な花見を催している。

この後も、政治の中心の移動によるもの、村の人口の増加など様々な理由で周辺の開発が行われ、原始の森は伐採され、雑木林が誕生し、桜が人々の目に触れる機会が増える。

関東の未だ葦原が広大に広がる地に江戸幕府が開かれ、新田開発、農地の開墾を通じて周辺に桜の名所が誕生する。お花見は江戸時代を通じて庶民の最大のレクレーションとなる。

この流れは明治時代にも引き継がれたと思われる。桜は一貫して、日本人の生活の豊かさを実現していった喜びの象徴だったのではないだろうか。

それが一時期とはいえ、アジア侵略政策に伴い、国家(時の権力者)に日本人の命を粗末に扱う象徴として使われたのは、桜にとって迷惑この上なかっただろう。戦後お花見が復活するが、年々大きく育つ桜の木を見るに付け、この平和がこれからもずっと続く事を願わずにいられない。

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