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2007/05/07

水の都

一昨日のテレビ“世界・ふしぎ発見!”でベネチアを取り上げていた。イタリア半島の付け根にあり、古代ローマ帝国が周辺の蛮族に侵食されて滅びていく過程でフン族に圧迫され、海辺の湿地帯に避難した人々が、その地に必死で適応していった結果、排水溝が網の目のように張り巡らされた町が出来上がったという。

 その後、胡椒貿易に従事し巨万の富を得て、ルネサンスが花開いたのは周知の事実だ。

 現在でも毎日の買い物から出勤、川向いの家に行くにも船が利用される。船頭さんの舵さばきも実に巧みだ。

 ふと、先日訪れた中国の江南地方を思い出した。街の中にくまなく水路が張り巡らされ、それに無数に石橋が架けられている。琵琶湖の三倍の広さがあるという太湖も水系に取り入れ、遠く黄河まで運河によって繋がる。

 いま街中の水路で見られる船は、観光専用の観があるが、黄河まで続く京杭大運河は南北を結ぶ大動脈として現在も中国の発展を支えているという。

 南船北馬という言葉を聴いたことがあったが、実感として感じた。中国の南方、特に江南では船は生活必需品だったのだ。また太湖で見た6本のマストのある帆船(ジャンク)からは往時の水上交易の勇姿がしのばれた。

高蹺と言う、靴の下に数メートルの長い棒をつけて自在に踊る中国の民間芸能がある。“宋城”という宋代の街並みを再現したテーマパークで見たのだが、何となく竹馬を連想してしまった。帰国後中国の友人に聞いてみたら、子供の頃の日常生活の一こまだといわれた。当然芸能の中では誇張されているが、数十センチの棒を履物の下につけなければ、雨の季節、郊外は歩けないほど道がぬかるんだという。水上交通が発展したのもうなずける。

 ハイウェイで都市間が結ばれる近未来を先取りして、水のハイウェイが張り巡らされていたのだろう。

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