« 県庁の星 | トップページ | 中高年の星  続 »

2007/06/18

中高年の星

この季節、花といえばアジサイとアヤメであろう。

アヤメといえば、東京にも名所は数々あるのに、先日わざわざ潮来に行ってきた。潮来花嫁さん♪ 潮来笠♪などの歌もあり名前は馴染み深いのだが都心をはさんで我が家から反対側にあることもあり、この年になるまで一度も行った事がなかった。

Ayame  こういう時ツアーは便利である。行きたいところを含めて、何箇所も効率的に見て回れる。そんなわけで本来は潮来のアヤメがお目当てだったのだが、佐原の昔ながらの街並みもついでに見ることになった。

 行ってみて驚いた。つい先頃いってきた、中国の江南の水郷地帯に雰囲気がそっくりなのだ。利根川に連なる町の中に張り巡らされた運河。そこをのどかに行きかう小船。川岸の柳、家ごとにあったという船着場。家々の白壁、木肌を生かした柱、黒い瓦屋根・・・・・。両者が私の頭の中でオーバーラップしてSawara しまった。

 

 佐原でのもう一つの発見は伊能忠敬だった。日本地図を完成させた江戸時代の偉い人。この程度の知識は当然持っていた。しかし佐原の人だとは知らなかった。佐原の町並み見物に同行してくれた地元のガイドさんは伊能忠敬の大フアンみたいで、一時間ほどの散策の終わり頃には、私もいつの間にかすっかり感化されてしまった。

 1745年九十九里浜に生まれ、17歳の時伊能家の婿養子になる。36歳で名主拝命。49歳で隠居。50歳、江戸に出て天文学を学び55歳で北海道の測量開始、以後73歳でなくなるまで10回に及ぶ日本全国の測量を成し遂げる。没後3年にして弟子達により、日本全図完成。

これだけでも私なんかは圧倒されて目眩がするほどなのだが、彼の住んでいた家、歩いたであろう町並みの中で、聞くと感慨もまたひとしお深かった。 

 当時佐原は江戸と東北地方を結ぶ利根川水運の中継港として繁栄し、伊能家も広大な水田を持つ大地主であり、酒造を営む商家だったが、忠敬の代には米の売買、物産の運搬等々も手がけ大いに財を成したという。当時金持ちは、早くに隠居し、漢学、和学にいそしむ土地柄だったというが、養子というハンデもあり、忠敬は50歳までは家業に全力投球したようだ。その間、傾きかけていた伊能家を再興し、現在では14億円相当の蓄財をするが、財は困っている人のために惜しみなく使い、天明の飢饉の時も多くの町に餓死者があふれたときも佐原では一人の餓死者も出なかったという。また度々起こる洪水後の田畑の境界線を確定する必要から、実践的測量技術を身につけたという。

 忠敬が本当にしたかった事は、地球の大きさを測ることだったという。そのために必要な知識を習得すると、まず赴いたのが北海道だった。これは当時世界的(西洋中心ではあるが)な関心が集まっていた学問分野だったそうで、鎖国中の日本の田舎の一私人が50歳にして、世界の頭脳が取り組んでいた最先端のテーマの解決にのりだした心意気に改めて脱帽した。

|

« 県庁の星 | トップページ | 中高年の星  続 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中高年の星:

« 県庁の星 | トップページ | 中高年の星  続 »