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2007/07/30

これから宜しくお願いします!

Notubomi 民主党の勝利、自民党の敗北。日本の民主主義はなかなか健全だなと思えた今回の参議院選挙だった。

党利党略で動いてきたこの数年間の自民党政治。地方は荒れ、就職氷河期の若者は社会から取り残され、中高年は使い捨てにされ、弱者は切り捨てられ・・・・・見るに耐えない惨状がいたるところで噴出していた。

 それを知ってか知らずか、弱肉強食政治をひたすら追求し続けた与党。

 民意は示された。自民党がそれをどう受け止め今後の政局運営に生かしていくのか、民主党が数におごることなく、庶民の目線で政治に取り組んでいけるか。今後の政治が日本の将来を決定するのだろう。

 当選者の、喜びと決意に満ちた言葉は政治への期待を呼び戻してくれる。今後予想される数々の試練に負けることなく、国民の生活を守るという原点を忘れずガンバッテ欲しい。私達国民も、選びっぱなしにすることなく、必要な時には協力し、あるいは厳しく監視して、日本を豊かで世界から尊敬される国に成長させて行きたい。

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2007/07/23

ハゲタカとエンジェル

先週Mファンドの総帥M氏に実刑判決が出た。一時は、日本発のグローバルファンド誕生かと期待をもたれた面もあり、時代の寵児に対する司法の判断に、不満を抱く向きも見られる。

いわく、

厳しすぎる。

 あんな事で有罪になるなら、投資の世界は、やっていけない。

 時代の先頭を走っていたのに惜しまれる。

 能力も、人脈も恵まれていたのに・・・・・。

M氏が本当に目指していたのは、ナンだったのだろう。三角合併解禁も迫っているのに、村社会の中で、のんびりと物作りにばかり精を出している日本の多くの企業が、外資に次々と飲み込まれ、資産を食い尽くされ、ポイ捨てされる近未来図に耐えられなかったのかもしれない。同じハゲタカでも日本発の和製ハゲタカとなり、外資と戦おうとしたのだろうか・・・・。

M氏がどう考えていたかは分からないが、本番前にコミカルに演じて見せてくれたM&Aの予告編は、サビ部分もうまく取り入れられていて、日本の多くの経営者に差し迫る脅威を自覚させるという使命は、幾分かは果たしえたのではないだろうか。

現在の世界経済の表舞台ではヘッジファンドの華やかな立ち回りで、目に付かないが、エンジェルというものがあるという。IT業界などで、アイデアはあるが資金がない企業家に資金を援助して、新しい価値を創造していく仕組みである。資本主義の原点ともいえる。アメリカが数々の挫折にも負けず、価値の創造を継続してきた原動力かもしれない。

ハゲタカ(禿げ鷹)ではなくエンジェル(天使)を演じるM氏をいつか見てみたいと思うのは私だけだろうか。

 ちなみに、ヘッジファンドの総本山アメリカでは、今幾つかのファンドに崩壊の危機が迫っているという。低所得者に高金利の融資をする事で支えてきた住宅バブルがココに来て破綻をきたしたという。これはある意味数年前から指摘されていたことなので、当然といえば当然の帰結である。

 問題なのは、この債務、サブプライム住宅ローンが様々な形で多くの投資信託に組み込まれている事である。アメリカではすでにFRB議長などが警告を出し、年金基金なども手を出さないようにしているというが、わが国の金融機関の対策は後手に回っているように見える。一部の地方金融機関などの資金運用担当者が、顔面蒼白になっているという話も聞く。

 それにつけても郵政民営化で、庶民(金融の素人)をグローバルな金融の荒波に放り出す政策の危うさを感じる。

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2007/07/16

鈍感力と共感力  続

 鈍感力が求められる究極の組織が軍隊であろう。

それだけに、軍隊は、強力なシビリアンコントロール(文民統制)の元に置かれなければならない。いいかえれば、共感力が最大限機能している政治に支配されねばならない。

 政府は沖縄で豊かな自然を破壊して、米軍基地を作ろうとしているという。住民の激しい反対運動を自衛隊を使って排除したというニュースを聞いた時には、心の中を冷え冷えとした風が吹き抜けた。更に、人里へ出てきた熊対策に自衛隊を動員する案もあるという。

 自分達の政策に反対する住民を敵視するだけでは足りず、日本の自然度の指標でもある熊まで敵対者として排除しようとする姿勢は、多くの国民にとってクールビズも顔負けの冷房効果がありそうだ。

 以前作ったホームページで、旧満州で亡くなった、叔母一家の最後を掲載した。軍隊と国民の関係を考える一助にしていただきたいので再度紹介したい。(小説の部 満洲を参照)


Keturui_1

北辺の風雲急を告げる昭和廿年の初夏、

日ソ開戦を控へてソ満国境第一線の

守備部隊 憲兵隊 特務機関は

軍命なりと称して、

一般在留邦人の乗車船権を略奪し

家族家財を満載して、

後方へ後方へと南下したのだ。

嗚呼

国境第一線に置き去られた在留邦人の運命は・・・・・

私の母方の祖父は、新潟出身で、14歳で北海道に渡ったという。様々な仕事に従事するうちにサケマスの養殖の将来性に目覚め、アイヌの方々の協力も得て孵化場を建設すると共に、近海漁業の振興にも大いに努めたという。

 そんな祖父が、信子おばさんに満洲の地方官吏I氏との結婚を勧めたのは若き日の夢の延長線上にあったのかもしれない。辺境の地を開拓し豊かな大地に生まれ変わらせたい!国境は強大なソ連と対峙していたとはいえ、無敵の関東軍が守っていてくれる。この信頼には絶大なものがあったようである。

 

 I氏はW大学出身の豪快洒脱な人物であったという。ただ文官だったため、軍人が幅を利かす満洲に在って、何かと肩身の狭い思いが多かったのだろう。それが最後を迎える時最も“武人”的形式を取らせたのかもしれない。

 この逃避行で亡くなった旧満州饒河県の方々は、靖国神社とは無縁である。中国とロシア(旧ソ連)の国境近く、遺骨が拾われる事もなく人々から忘れ去られようとしている。軍隊が国民を捨て、逃げ去った記憶と共に・・・・・。


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 このブログを書いてる最中に新潟で地震発生のニュース。被災地の皆様の無事安全を願います。

 それにしても日本は、地震列島だとつくづく思う。常日頃の万全の防災対策が望まれる。先般の耐震偽装事件など、表面だけ繕って内部を手抜きする風潮が、いざという時国民の安全を脅かさない事を祈りたい。

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2007/07/09

鈍感力と共感力

ここ数週間、山口県H市事件の被告の供実を聞くたびになんともやりきれない、腹立たしさがこみ上げていた。妻子を無残に殺害された、被害者の夫の怒りもひしひしと伝わってきて、犯行時に18歳だったという犯人への同情の念も、少しも沸いてこない。大型弁護団の動きもなんともわざとらしく、かえって反感を感じてしまう。

こんな流れの中での先々週のテレビ番組“大田総理・・・”のタイトルは“少年法を廃止します”だった。大いに興味があったので是非見ようとチェックしておいた。


始まって数分、突然電話。久しぶりの知人からだったので、初めこそちらちらテレビに目をやっていたが、相手の話を聞き漏らしたりしたため音を消したが目だけは展開を追っていた。途中から画面内があわただしくなり、アップされる発言者の何人かは目に涙さえ浮かべ、ただ事ではない雰囲気が感じられ、どうしても電話に集中できないので、やむを得ずテレビを消した。電話が終わって直ぐつけたが、番組はすでに終わっていた。展開がどうにも気になったのでインターネットのいくつかの掲示板を開いてみた。

覗いてみて驚いた。これがいわゆるネットの“祭り”というものか。発生直後に遭遇したのは初めてだったので、興味を引かれるままにしばらく流れを追ってみた。

息子をいじめによる暴行でなくした母親の涙の訴えに対する、元弁護士H氏の無機質とも取れる反応。スタジオ内でかなりの反感が巻き起こったようだ。私がその場にいたらやはりH氏の発言に違和感を持ったと思う。投稿者の、被害者の母への同情とH氏への怒りが渦巻く。 “ネットウヨ” “ぶサヨ”との罵声が時々入る。花火祭りなら“玉や~”“鍵や~”の掛け声が入る所なのだろうか。正に祭りである。

ここでは二つの重大な問題がごちゃ混ぜになっていると思われた。

一、共感力と鈍感力の関係

二、少年犯罪に対する考え方

昨今見られる、少年犯罪の凶暴化、少年の反省の無さなどをマスメディアで(この場合ネットも含めて)これでもか、これでもかと見せ付けられると、罰則の強化が必要という意見が説得力を持って感じられる。しかし冷静に考えてみれば凶悪犯罪を含めて少年犯罪そのものは減少の傾向にあるというし、社会的弱者であり、教育の効果が大きな青少年にはやはり罰よりは矯正が基本になるべきだとは思う。

そう考えている私でさえ、反感を感じてしまうのはどうも法律のプロによる“鈍感力”の履き違いに起因しているような気がする。

以前、検事に採用された方に研修の様子を聞いた事がある。日常生活では体験した事がないような数々の恐怖の体験、生々しい事故現場の立会い等々ナイーブな感受性を“麻痺”させて、強靭な心臓の持ち主に改造されるらしい。

目先の“私情”に左右されない鋼鉄の心臓を持った、法律の番人を養成するための、必要悪なのかもしれない。そうして鍛えられた、目の前の個々の事象に惑わされない心のありようは一種の技能かもしれない。“剣の心”といってもよい。しかしそれは人を守りもするし、使い方次第では罪のない人を傷つける。

時々見られる苦労知らずで人の痛みに“鈍感“という場合と一見混同されやすい。庶民の苦しみになんら共感することなく、“鈍感力“を強化せよと口にする政治家も見られるが、“鈍感力”ばかり逞しい政治家ほど庶民にとって迷惑な存在もないだろう。

国土が日々焦土と化し、国民が地獄の苦しみに直面している時に、未だ“国体の保持“(=権力の延命)を最優先に考え、広島・長崎の被爆の悲惨さも“しょうがない”で片付けてしまう。近隣の国々を侵略して、日々の生活を破壊し、人間としての尊厳を踏みにじり、生命を奪った過去を反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓ったはずなのに、未だに大国の侵略まがいの行動に言うがままに従っている。

鈍感力は人間性の裏づけがあって初めて許される物だろう。

また“共感力”も一部の集団内や、目先の事象だけに留まっていては、“宇宙船地球号”の乗員としては、心もとない。自分が体験していない事にも、会ったことのない人にも共感力が働くようになれたら世界はもっと平和になるだろう。

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2007/07/02

党首討論

普段なら間違いなく睡眠を選んでいた時間帯、すなわち夜11時台からの一時間半にわたる録画放映。しかしある意味、国の将来がかかっている参議院選を直前に控え、見ないわけにはいかなかった。

小沢氏には以前から漠然とした期待があった。経歴から政治に対する誠実さが仄見え、愚直なまでの信念の人という印象を持っていたからだ。しかし昨年4月民主党の党首になり、期待した初めての安倍氏との対談を見て、正直がっかりした。好好爺が友人の息子と世間話しているの図を一歩も出ていなかった。小沢氏も早、旬を過ぎてしまっていたのか・・・・・。

 従って今回は殆んど期待していなかった。せめて躍進が期待される民主党の足を引っ張らない程度であって欲しいと願っていた。

まず安倍氏の所信が述べられた。今までの安倍氏の話し振りから一皮むけたような、自信に満ちた、滔滔とした話し振りに眠気が少し覚めた。次に小沢氏が話し始めた。とつとつとした、一寸心配になるような話し振りで、思うところを語りだした。一言一言、長い政治人生からにじみ出る裏打ちが感じられる言葉はやはり強い。いつの間にか背筋を伸ばし、一言も漏らすまいと画面を見つめていた。私の漠然と感じていた、小沢氏への期待は間違っていなかった。この日本の難局の舵取りをしてもらいたい。そう感じた。

安倍氏は、後半は与党の強みで強力な官僚機構のバックを感じさせる、緻密な資料、数字を駆使して小沢氏に反撃を試みていた。しかし本来、官僚機構は中立の国家機構であるべきで、自民党の長期政権下でかなり私物化され、甘やかされてしまったようだ。今では本当の主人である国民より、自民党の番犬になってしまったかの感さえある。

昨今の年金の記載漏れの対応を見ていればこの間の事情が良くわかる。他の省庁にも、手入れの悪い機械さながら、きしみ、不具合が散見されてきた。前政権は自分達の手入れの怠慢を棚に上げ、根本的欠陥の修復に目をつぶりペンキの塗り替えで、国民の目をごまかしてきたように思われる。

このような、一時しのぎの糊塗策の繰り返しでは、国家の屋台骨が腐り続けるだけであろう。利権にまみれていな政治家をしっかりと選び、国民のための政治を行ってもらいたい!

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