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2007/08/27

アブラゼミ

窓の外からは、相変わらず暑苦しい風と、物憂げなアブラゼミの鳴き声が入り込んでくる。

ジージージージィージィージイージイー・・・・・・・

もうあきらめの境地に達しているので、さして苦痛とも思わず又長く暑い一日の始まりを受け入れている。

 先日テレビで、北米中部の17年ゼミの発生を紹介していた。かくも長く土の中で暮らし、ある時期一斉に地上に出てきて子孫を残し、短い地上生活を終えてしまう。暗い地中の生活、明るい日の当たる世界の対比で、ある種の同情も沸いてしまう。しかし、一生土の中で暮らすミミズやモグラもいる事だし、本人(本虫?)にとってはまっとうな生活スタイルなのだろう。


 3年前にニューヨークなどで発生したニュースを見たときには、余りの数の多さに圧倒されて現実離れして感じられたのに、今年はいまいちインパクトに乏しい。蝉を丸ごとチョコレートにくるみ美味しそうにほおばっている映像には、さすがビックリしたが・・・。


Semi  蝉の多さに関して、今年は日本の夏も負けてはいない。少なくとも我が家の周辺のアブラゼミの大量発生振りには目を見張る。桜並木など、木肌と似ているが、目を凝らすと蝉だらけなのだ。地面近辺から始まって、ズーッと点々と蝉がしがみついている。地面にもごろごろ落ちているし、それをスズメが突っついてるのも去年までは余り見かけない風景だった。


 先日散歩中、すれ違った男の子の虫かごには、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。佃煮でも出来そうなほどの量なのに、その子は余り嬉しそうに見えなかった

 私も、試みに近くにあった木に止まっていた蝉に手を伸ばした。当然、飛び去られると思っていた。ところが、いとも簡単に蝉は私の指に挟まれて、おとなしくしていた。あのばたばたと暴れて抜け出そうという力強さがまるでない。拍子抜けして、指を開くと力なく飛んでいった。他の蝉で試して見たが同じだった。これでは蝉取りではなく、蝉摘みだ!

 

 息子が未だ幼かった頃、せがまれて暑い盛りの公園についていった。鳴き声の騒々しい割には、蝉の姿はさっぱり見えない。葉の生い茂っ薄暗いなかにやっと見つける。背伸びして網を近づけると気配を察して直ぐに飛び立ってしまう。何回も何回も繰り返し、やっと1匹手にし、勢い良く暴れる蝉を眺めていたときの息子の顔は喜びに輝いていた。それこそが蝉だったはずだ。夏の思い出のなかで輝いていたあの蝉は何処へ行ってしまったのだろう。

 これらの現象は、他の地域でも見られるのだろうか。短期的な地域的ゆれの範囲内ならいいが、温暖化の流れの中で定着していくとしたら、子供達の蝉取りの喜びは記憶の中に取り残されてしまうのかもしれない。

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