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2008/04/14

 芽吹き

 暖かな日差しが数日続くと、少し肌寒い雨の日が訪れる。今年は久しぶりに雨が多く、植物達も命のリズムを取り戻したように見える。雨降りで一日外に出なかっただけでも、翌日は暖かな陽光の中、桜の枝が若葉に覆われ、1週間前の華やかなお花見が別世界のように感じられてしまう。

Keyaki_1  この季節、植物の変化には目を見張ってしまう。ケヤキにしても、冬の日々Keyaki_2 マッチ棒の先ぐらいの芽だったのに、今見ると10センチぐらいの枝を伸ばし、10枚ぐらいの可愛らしい葉を付け、びっしりと蕾をつけている。あの小さな芽の中にこれらすべてが準備されていたのだなと改めて感心してしまう。

 何処を歩いてもまず樹木に目がいってしまう。日々の変化を見逃すのがもったいない。

 木によっても色々な個性がある。雑木林で、下草的な役割を持っている木は大体葉の展開が速い。より大きな木々に林冠を覆われる前に少しでも陽光を取り入れたいのだろう。それに対し、北方から伝来したような木々はきわめて寝坊である。未だ冬芽がびくとも動かないので、ひょっとして枯れてしまったのかなと心配してしまうが、気長に待っているとのんびりと動き出す。

 しかし今年は多くの木々で、本当に枯れてしまった枝が例年になく多いように思われる。昨年の夏の異常なまでの少雨が祟ったのだろうか。冬の間は分からなかったが、ココに来て元気な枝が柔らかい若葉に彩られてはじめて、枯れていた枝の存在に気がついた。風の強い日の翌日など、木の下にたくさんの小枝が散乱しているが、なかには結構太い枝も混じっている。

 “湯水のように使う”という言葉がある。ふんだんにあるので、いくら贅沢に使ってもかまわないという意味合いで使われる。

 日本はアジアモンスーン地帯にあり、夏季には太平洋側が豊かな降雨に恵まれ、冬は北方季節風に運ばれてきた水分が日本海側に豊かな降雪をもたらす。それを全土にくまなく築かれた水田というダムによって、ゆっくりと長い年月をかけて地下水に補充してきた。自然と永年にわたる人々の努力の共同作業によってわが国の水は守られてきた。

しかし近年、多くの水田が耕作放棄され、日本にもたらされた豊かな雨水は、急峻で短い河川を流れ下り、コンクリートで覆われた市街地では排水溝を通って海へと排出されてしまう。実にもったいないと思う。

“いつまでもあると思うな、水!(親と金)”である。

 

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