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2008/07/24

ビーナスライン  続

 今まで行った時はすべてツアーを利用していた。時間、お金が効率よく計画されているので便利である、が物足りなさが残った。今回は個人旅行だったので霧が峰周辺をのんびりと満喫する事ができた。

Asagiri  朝霧の中、カッコウの声が響き渡る車山のふもとの宿を出た。体力温存のため、登りはリフトを使う。涼風に吹かれながら、眼下に次々と現れる花々を見とれているうちに中継地点に着き、山裾を振り返るとニッコウキスゲがかなりの数咲き出していた。頂上まで着くとさすが人が多い。車山乗越、蝶々深山を通って八島ヶ原湿原にいたるコースを歩いた。

 何という広々とした草原だろう。見渡す限り、なだらかな起伏が続き、稜線で青空と白い雲Sougen に接している。遠い記憶が蘇ってきた。そう!あの阿蘇の草千里で感じた感覚に似ている。

 伊吹トラノオ、白山フウロなどの可憐な草に混じり、咲き残りの蓮華ツツジの鮮やかな朱色も目に付く。気がつけば周囲は蓮華ツツジの大群落である。

6月の花の頃、コバイケイ草の白い花が混じり、青い空をバックにそれは美しい光景です”宿の主人の話である。

 阿蘇、秋吉台と並ぶ日本の数少ない大草原。高山のお花畑とは違って、人の手で維持されてきた“里山”的自然だという。かつては牧草に、肥料に、屋根材にと広い需要をまかなうため全国各地に存在していたというが、今では需要もなくなり本来の森林に戻る例が多く、霧が峰も例外ではないという。

Nikkoukisuge  あれあれ、話が違うではないか!それなら、霧が峰の鹿は、霧が峰の草原を森林化から守っていてくれる恩人ではないか。しかし、ニッコウキスゲの花芽と春先の新芽は人間も喜んで食べるほど美味しいのだ。鹿が食べるのは自然の流れである。どうすればいいのだろう。

 ニッコウキスゲが好きで、かつ鹿もかわいいと思う人の知恵のだしどころであろう。

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2008/07/17

ビーナスライン

Nikkoukisuge_2  名は体を現す。少なくとも十数年前、初めて訪れた時は車窓から延々と続くニッコウキスゲの黄色の花のじゅうたんを目にして息を呑んだ記憶がある。

以来何度も訪れている。しかし花の時期がずれていたり、悪天候にたたられたりであの時の感激を再び味わう事はなかった。そして今回・・・・。

最も見所だったはずの霧ヶ峰周辺は青々とした草原に変わっていた。探せば無いことはない。しかしニッコウキスゲに替わって目に付くのは、しだの仲間や、花の終わった蓮華ツツジの株ばかりである。ヒメジョオンの小さな白い花をココで見ても余り嬉しくない。

来る時のバスの運転手さんの言葉が、蘇ってきた。

“最近は、鹿が増えて花芽を皆食べてしまうので、花がすっかり見られなくなりました。何しろこの地域だけで3千頭とも4千頭ともいわれるほどに増えてしまったので、お手上げですよ”

今年から、電気柵の導入が試験的に始められたという。

 ビーナスラインの名誉の為に付け加えておけば、車山肩ではかって群生時の雰囲気を味わえるしUsuyukisou_2 、他でもそれなりに咲き乱れているところもあり、さまざまな高山植物も多く、美しい風景には事欠かない。それに車道を離れて歩く労を厭わなければ、ニッコウキスゲに浸りきれる場所はまだまだある。

 それにしても動物と植生の均衡を維持する事は難しい。古くはギリシャやヨーロッパにおいて、家畜の大量飼育により森林が殆んど消滅したという。近くは小笠原諸島で、外部から連れてこられたヤギの増加で島の植生が壊滅的打撃を受けた例がある。オーストラリアでも近年増えすぎて植生に脅威となってきたカンガルーを、かなりの数捕獲するようになったという。

試行錯誤で、より賢明な方法を模索していくしかないのだろう。このところ問題になっている捕鯨問題も、食文化の違いによるところもあるが、長い目で見れば鯨の増えすぎをどうするかという問題とぶつかってくると思われる。

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2008/07/10

洞爺湖サミット(G8)

 世界の首脳22人が集合した洞爺湖サミット。ある意味歴史的快挙であり、画期的な出来事ともいえるだろう。しかし裏を返せばそれだけ今、世界が危機的状況に立たされているということかもしれない。

 大廈の将に顛れんとするは、一木の支うる所にあらず

       大廈将顛、非一木所支也


何十年も忘れていたのに数ヶ月前ふと思い出し、以後何回となく脳裏に浮かんでくる。

この言葉は、私が高校一年のとき初めて漢文と出会った時の教科書の初めの章にあった、中国の隋代の儒学者の言葉である。訓点を用いて外国(中国)の古典を自国風に読んでしまうという、日本独特のワザの習得の例文として載っていた。

 ルーO氏流に言えば、

“ゴージャスビルデイングがジャストダウンの時、ワンスティクはノーパワー!”

とでもいうところだろうか。

さて本題に戻る。そもそもG8とは何だろう。Group of 8 、主要国首脳会議とも訳され、サミットとも呼ばれる。1973年の第一次石油危機が起きた時に、当時の世界経済をリードしていた主要な国が集まって、利害調整したことに起源を持つ。

 初めはフランス、ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカ、日本だったが、その後カナダ、ロシア(ソ連)が加わり、2005年以降ブラジル、インド、中国、南アフリカ、メキシコも一部の会議に参加するようになる。今回はアフリカ諸国も加わった。時代の大きな変化を感じる。

 それだけ今、世界の多くの国々が何らかの行動の必要性を強く感じているという事だろう。その期待に今回の会議が答えられたかというと、はなはだ疑問である。参加する事に意義があるというなら多くの国々の参加を得られたことはそれなりに評価されるだろうが、せっかくこれだけの政治的パワーが集まったのに、世界が直面している問題にもっと強力な解決策を示せなかったのは残念である。

 今は、問題を共有して安心する時ではなく、具体的解決に踏み出す時だと思う。

 倒れつつある大廈が特定の地域なのか、国家なのか、はたまた戦後体制なのか・・・・・。せめて人類の未来でないことを祈りたい。

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2008/07/03

南十字星

 

Minamijyuujisei  何となく心のなかに漣(さざなみ)が立つ言葉である。太平洋戦争で戦線を拡大していった軍部の方針の下、多くの日本兵が悲惨な最期を辿った歴史が連鎖的に沸き起こるからなのだろうか。私自身は直接には何も知らない時代だが精神的遺伝子に組み込まれているのだろう。

  “土ボタル”鑑賞ツアーの帰り道、真っ暗な山道に車を止めて見つけるこつを教えてもらい南十字星を初めて目にしたとき、今南半球にいるということをしみじみと実感した。以来何回となく南十字星を見上げる機会があったが、慣れてしまえば日本の北斗七星のように簡単に見つける事ができる。

 その日はナナの家からバスで30分ほどの岬に出かけた。海の美しさもさることながら、道ばたでBurashi 目にする植物の珍しさに心躍った。今まで見たこともない花、種子、葉、樹形・・・植物オタクの私には至福の時間であり、時間は見る間に過ぎていった。しかも秋の日暮れは早い。名残惜しさを振り切って私はバスに乗り家路に向かった。

 ここからが実は大変だった。オーストラリアのバスは、車内で停車駅の名前の放送も表示もしてくれないし、バス停には大体駅名が書いていない。行きは終点まで乗っていればよかったのだが、帰りはそうは行かない。もう降りる駅の周辺の景色を覚えているしかないのだ!

 いつの間にか乗り過ごし慌てて下車し引き返して、なんとか目指すバス停におりた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。

 一般にオーストラリアの夜は早い。シドニーの中心街でも多くの店が5時を境に店を閉め、見る間にひっそりとしたたたずまいに変わっていく。ナナの家は閑静な住宅街にあるため、街灯が道をうっすらと照らし、家々の窓からやわらかい照明が見える以外は暗闇に包まれている。ふと空を見上げると、南十字星が広々とした空の真ん中に光っていた。ゆったりとした時の流れを感じた。

 夜は本来暗いものなのだ!

 それはしかし、成田に夜到着した時から一変した。首都高で都心を駆け抜けたが、まばゆいばかりの光の洪水である。良くも悪くも経済的繁栄を示しているのだろう。

 日本では今コンビニの深夜営業の是非が論じられている。難しい問題だと思う。

 そもそもの始まりは、深夜まで働く人の増加に対応して発達した業態だと思うのだが、全国一律というのは融通が利かな過ぎるのではないだろうか。需要がある程度あるところで続ける事に異議はないが、需要がないところであえて、エネルギーと人間の労力を無駄に消費する制度を維持する根拠を知りたい。

   (付記) 

 乗り過ごして引き返すバスでの事。少々パニック気味になっていた私は、座席の周辺の人に次の駅名をその度に聞いていた。見かねたのか後ろの座席の人が、近くになったら教えてあげますよと声をかけてくれた。旅先では、こんな一声が本当に嬉しく感じられた。

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