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2009/04/30

近畿葉桜紀行 続

 先週の大阪に続いて吉野山の葉桜を書いてみたい。今更季節外れな気が しないでもないが、備忘録としての意味はあるだろう。

Yoshino 吉野には大阪の天王寺に隣接した、近鉄阿部野橋から特急で1時間15分で行ける。きわめて便利になった。私が行った時は下千本、中千本、上千本と称される桜も、はや散り尽くし、奥千本といわれる、西行法師の庵があった深山がわずかに山桜の見ごろを迎えていた。桜狂いと称された西行が住まいに選んだところだけあってなかなか趣のある場所ではあったが桜の本数はそれほど多くなかった。

行きはマイクロバスを乗り継いでいったが帰りはゆっくりと歩きを楽しんだ。途中で食べた吉Odorikosou の葛餅と葛切りは美味しかったし、木の根元に咲き乱れるオドリコ草は可愛らしかった。途中急峻な山の斜面で、地元の人が山菜取りをしていた。道で休んでいた女の子のビニール袋を見せてもらうと、ワラビがずっしり入っていた。山麓に住んでいるが休日なのでおばあちゃんの手伝いに来ているのだという。

吉野の桜の見事さはいまさらいうまでもないだろうが、山里の葉桜の季節ののんびり感もなかなかいいものだった。

Hanasajiki 翌日は淡路島に渡り、テレビでも紹介されていた花さじき(桟敷)を見に行った。菜の花と諸葛菜(紫ハナナ)の咲きそろったさまを見たかったからだ。観光船で島に渡り、地元の運営する花バスに乗りのんびりと北淡路の観光めぐりに出発した。ハイウエイオアシスでは淡路の物産に舌鼓。いかなごの釘煮は今正に旬である。たまねぎが特産という。たまねぎスープを試飲したがやけに美味しい。あれもこれもと買いたかったが、未だ先が長いので抑えた。のんびり旅をしていたつもりだったが、時代(?)には抗えない。花さじきではマイカーの渋滞に巻き込まれてしまい、帰りの花バスは時間は遅れるわ、待っていた人の大半が取り残されるわと、にわかにスポットライトを浴びた地方の観光地のてんやわんや振りが伝わってきた。バスに乗れずに取り残されたおじいさんの困惑した表情が今でも目に浮かぶ。

これから本格的ゴールデンウイークに突入する。各地で大渋滞が頻発すると予想されている。この時期お年寄りと、赤ちゃんは観光地に行くのは避けたほうが賢明かもしれない。自然は逃げてはいかない。後からのんびり行っても遅くはないだろう。

私も鳴門まで足を伸ばすのは又の機会にした。

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2009/04/23

近畿葉桜紀行

 何も好んで葉桜を見に行ったわけではない。最初の計画では吉野の桜を満喫して、大阪の造幣局桜の通り抜けを見て、時間があったら鳴門の渦潮に行く予定だった。しかし今年の桜前線は駆け足で北上したため、行く先々で葉桜見物という事になってしまった。

新横浜からのぞみで2時間余、新大阪は意外と近かった。金曜日の朝出発したので自由席でもがらがら。山側を見たり、海沿いに移動したり、久しぶりの新幹線の旅を楽しんだ。

ミカン畑が増えてきたから静岡だな、湖が多いから浜松か・・・。名古屋周辺はしゃれたビルが増えたな・・・でも今は不景気で大変なんだろうな。・・・近畿地方の畑にはレンゲが多いな、ピンクのじゅうたんのようだ・・・。車窓からの風景に色々反応しているうちに新大阪についてしまった。

大阪の街に出てまず気が付いたのが、エスカレーターで一方を歩き続けるせっかちさは東京と変わらないのだが、移動が左側である事だった。本来どっちでもいいことなのだが、東京と逆なので初めのうちは戸惑った。周囲の話し言葉が関西弁なのも新鮮だった。テレビで聞きなれてはいるが、周りの人が普通にしゃべっているのはそれなりにインパクトがある。

天気が崩れるというので予定を変えて、1日目は大阪見物にした。通り抜けでは、お花見気分を充分に味わえた。延々と続く八重の桜並木、少し花の旬を過ぎてはいたが種類の多さには圧倒される。人が多いので交通整理の人が声をからして誘導している。天気は持ち直して眠くなるような暖かさ。大川沿いは屋台が並び、弁当を開く人で埋まっている。何を食べようか迷ったが、結局たこ焼きにした。

Suirikubasu 食後は遊覧船からの新緑を楽しむ。桜もいいが、この時期の新緑の美しさはたとえようがない。とくにクスノキの千変万化の色合いは見るほどに引き込まれる。途中水陸両用バスを目にしたが、いつか乗ってみたいと思った。30分弱の乗船だったが、春化粧の大川端を堪能できた。

船着場からしばらく歩くと大阪城に着く。20数年前、夏休みを利用して子供を連れてきた事があった。暑かったこともあり、だだっ広くてホコリっぽく、ただ疲れたという印象しかなかったが、緑豊かでみずみずしい公園に一変していた。大阪の中心を形成しているのだろうか、周辺にはしゃれたビルが多い。

城そのものも、最近は大河ドラマや映画で戦記物に触れているせいか、具体的イメージで迫ってOosakajyou_2きた。建設当初の築城技術は日本の戦国時代の粋を集めたものだったのだろう。五階まではエレベーターだったが、後は階段を昇るしかなかった。八階の展望台から大阪市内を眺めながら、こういう城に暮らすのも骨が折れる事だと、平和な世の平民に生まれた事をつくづくありがたく思った。          

                       続く

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2009/04/16

今歴史の目撃者になった!

 レッドクリフPartⅠを見て以来、首を長くして待つ事半年、やっとPartⅡが公開された。封切り日に駆けつけたいぐらいだったがそうもいかず、落ち着いて見れる平日の午前の部を見に行った。

 いくら原作を読んだ事がない私でも、幾つかのエピソードや結果は知っている。それでも見ようという気持ちは変わらなかった。数日前にPartⅠがテレビで放映されていた。映画館で見ていたのだが再度見た。記憶を活性化させておきたかったのだ。

 80万人の曹操軍を前にして、呉の孫権と劉備軍5万人の運命は風前の灯だった。2000の軍船が押し寄せれば、江南の地は阿鼻叫喚の地獄絵と化しただろう。

 その絶体絶命のピンチを冷静な現状分析と、天候の一瞬の変化を見逃さずに利用して、勝利に導いた孔明と周瑜の英知には圧倒される。

 次々と船を飲み込む炎、様々な当時の最新兵器、その中で勇猛果敢に活躍する武将達。圧倒的戦闘場面なのだが、意外と殺伐さや悲壮さを感じなかった。ある意味、前半で登場した蹴鞠(サッカー)の試合にも重なるようなさわやか感さえ残ったのは何故なのだろう。

 私の中では曹操は憎むべき悪の象徴だった。これは勧善懲悪的色彩の濃い三国志演義の影響が強いと思う。しかしこの映画ではなかなか含蓄ある名将としても描かれている。史実では政治的にも、文才にも秀でた人物だったらしい。

 そう、この映画は単なる勧善懲悪の物語とすることなく、今から1800年前、江南の地、赤壁で起こった歴史的事実を現代の私達にも分かりやすく再現してくれたのだ!その事実から私達が何を学ぶかは、私たち自身の問題なのだろう。

 闘いが終わり美しい江南の山河のもと、孔明(27歳)を周瑜(33歳)と小喬が見送る。若き英雄達がまぶしいくらいに輝いて見えた。

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2009/04/09

桜が満開です!

 今東京は何処を歩いても満開の桜が美しい。開花宣言は例年になく早かったが、その後寒さがぶり返し足踏みをしていただけに、ここ数日の暖かさの中、花に誘われうきうきと歩き回っている。

Sakura 我が家の周辺の桜も数十年の年月を経て見事に育ち、わざわざ遠方の名所に出かけなくても十分堪能できる。丘陵地は未だ蕾も残るが、駅周辺はもう満開で、少しの風にもはらはらと花吹雪が舞う。川沿いの桜並木の下で女の子が二人、舞い落ちてくる花びらを箱のふたで受け止めて数を競っていた。しばらく見ていたが、なかなかうまくいかないものだ。花びらの軽やかさが、風の流れで微妙な動きをするのだろう。

それにしてもソメイヨシノが圧倒的である。公園、並木、学校、・・・・・。Iroiro それでも最近は、意図的にオオシマ桜や、江戸ヒガンなども植えられるようになってきたようだが、やはり市街地の桜といえばソメイヨシノなのだろう。

春の日本を代表する風景であるとともにある意味、日本の精神的風景も象徴しているのだろう。

明治の初め、東京染井村の植木屋がオオシマ桜と江戸ヒガンの雑種として生まれた一本の木から苗木を作って売り出し人気を得る。やがて近代国家創成期の日本と足並みをそろえ、全国津々浦々に植樹されていく。いつの間にか日本の成長のシンボルと化し、果ては軍国主義にまで利用されてしまった。

戦後は焼け跡からの復興のシンボルとして、人々の希望を担って再び植樹されていった。今市街地で目にする桜はこの時期に植樹されたものが多いのだろう。

しかしクローンの悲しさ、寿命はきわめて短い。60年前後ともいわれる。片方の親といわれる江戸ヒガンなどは千年を越える寿命を謳歌しているのと比べるといかにもはかない。そういえば最近天狗巣病にかかって痛々しい並木や、幹にひび割れが入って弱った木を時々見かける。今後の桜植樹は、ソメイヨシノに限らず、もっと自然の種類に目を向けていく必要があるだろう。

そもそもサクラは先駆樹で開墾、山崩れなどで開けた陽光が十分な土地を好む。古の奈良の都の造営に吉野の杉が切り出された跡地に山桜が育ち、都(みやこ)人の目を楽しませたのだろう。これは近畿地方に限らず稲作の普及とともに全国各地で見られた風景だったと思われる。日本人の桜好きは案外この時代に原点があるのかもしれない。

桜は自家不和合性といって、同じ木では結実しない。遺伝形質のなるべく異なる組み合わせで種子を作るため個体差が大きいという。種の保存には個体差(個性)が豊かなほうが有利という事だろう。

花を見て浮かれるのもいいが、グローバル化(アメリカ化)一辺倒でつまずいて右往左往している現代の日本人には参考にしたい生き様である。

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2009/04/02

カモシカに逢いました!

Shirouma  先日、白馬に行ってきた。白馬といってももちろん山ではなく山麓である。花冷えの東京を後にしてはるばる来た信州はひどく寒く、外出するときは持っていった衣服を着替えの分まで着込んだ。

 泊り客の多くは温泉目当ての中高年か、今年最後のスキーを楽しむ若者なので私たちみたいなバードウォッチング組みは少数派のようだった。何はともあれ良く歩き回った。

 西方には白銀に輝く白馬山系が連なり、数日前に降ったという雪がそこかしこにうっすらと残っている。側溝を勢い良く流れる雪解け水は手がかじかむほど冷たい。

 畑のあちこちではジョウビタキ、カワラヒワ、雑木林では、アカゲラ、ホオジロ、エナガ、カケス・・・・と沢山の小鳥たちに出会えた。杉の木立には青サギが何組も巣作りに励んでいた。今自然繁殖に取り組んでいるトキもかってはこんな感じで人と共生していたのだろう。

二日目は宿から少し離れた、アルプス展望遊歩道に出かけた。山麓には所々別荘が建ち、道も舗装され雪道を余り歩かなくて済んだのはありがたかった。しかしまだまだ十分に自然が残り、いたるところからふきのとうが顔をのぞかせ、道を登るに連れ白馬連山が目前に迫ってくる。パノラマ展望台では、アルプスの絶景独り占めという感じである。

あんまり素晴らしかったので三日目も迷わずに行った。そこで、もしやと思っていたカモシカとKamoshika ご対面できた。特別天然記念物である。遠目でいいから見たいと願っていたのが直ぐ目の前の岩の上で、じっと私のほうを見ていた。あんまり動かないのでひょっとして剥製かな、と思ったほどである。しばらくして、横を向いたと思ったら、その場に座ってしまった。薄茶色の毛並みでいかにも堂々とした風格がある。まったく人を気にする様子がない。私もしばらく石に腰かけて眺めていた。そのうちにもう一匹一回り小さめなカモシカが現れた。こちらは少し黒味がかった毛並みだった。

 ふきのとうを取りに来ていた地元のおばさんの話では、その辺はカモシカのお気に入りの場所で、別荘が建つ以前からのテリトリーであるらしい。おばさんは小さいほうをショウちゃんと名づけていた。可愛くてしょうがないのだろう。

Miyamahoojiro  ここでは日本リスにも遭えたし、深山ホオジロもゆっくり観察できた。黒いサングラスをかけたモヒカン刈りのアンちゃん風である。数羽で忙しく潅木の間を飛び交っていた。

季節外れの観光地もなかなか捨てたものではない。

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