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2009/09/11

四川省の旅 5

 今回の旅行では、成都は私にとって単なる通過都市であった。上海などの経済的発展に沸く沿海都市に比べいまいちパッとしない内陸部の単なる一都市・・・。

 旅行の日程に幾つか列挙してある成都の名所旧跡も余り興味がわかなかった。パンダ公園でまじかにたくさんの子パンダに会えるというのが唯一の楽しみだった。

その私が今では、週に一回は麻婆豆腐、それも山椒風味の利いた四川風を食べずにいられないようになってしまったのは一体何が原因だったのだろう・・・。

成都に初めて足を踏み入れたのは旅行初日の夕方だった。むっとする暑さ、空港周辺の車の多さなどで余り好印象は抱かなかった。

九寨溝からの帰り再度降り立った四川の街は早朝だった事もあり、だいぶ印象が変わっていた。整然とした道路、片側三車線で街路樹を挟んで自転車(電気自転車も含む)道があり、更に広い歩道がある。これが道路の標準のようだ。現在北京(人口800万)に次いで成都(人口960万)の自家用車保有率が高いという、この都市の将来を見据えて作られたものだろう。

街路樹にイチョウが多いのも市の木ということでうなずける。もちろんカジュマル、ブーゲンビリアなどの亜熱帯の樹木も多い。しかし市の花という芙蓉は意外と目に付かなかった。

それにしてもなんとなく風景がくすんで感じられた。初めのうちは公害で空気がよどんでいるためなんだな・・・と勝手に納得していたが、これは早とちりであった。この状態は四川の歴史とともにあったという。

“蜀の犬は、太陽に吼える“という成句がある。それほど四川(蜀)はいつも曇っていて太陽を見る事が珍しいという事らしい。(年間日照時間  成都 1100時間 東京 2000時間)

 これはチベット高地につらなる急峻な山岳地帯から流れ出す何本もの長江(揚子江)の支流の扇状地として形成された四川盆地上にある成都の位置によるものだろう。年間平均湿度が80パーセント前後という。

亜熱帯気候に属し豊富な水に恵まれ土地も肥沃で、先史時代から稲作が盛んで、現在も中国の米の省別生産量で四川はトップという。(この地のイネが日本のイネの祖先という説もある)

 もっともガイドさんによると、日照が弱いため味がいまいちなので、美味しく食べる工夫がなされ四川料理が発達したという。

また女性も色白でしっとりした肌のため、唐代の楊貴妃をはじめとして古来美人の誉れが高いという。

ガイドさんは成都郊外出身という事で、お国自慢が続く。

“成都は豊かな街です。何でもあります。平和が続けば数年で都ができるという意味で成都と名づけられ、以来二千年余りの間名前が変わる事はありませんでした。

四川の古名、蜀の中の虫は蚕を意味し、古来養蚕が盛んでした。茶の栽培もこの地で始まりました。

秦の始皇帝が中国を統一できたのも、劉邦が項羽に勝ち漢帝国を樹立できたのもこの地の富に支えられました。

森林資源、鉱山資源も豊富で、多くの住民はその豊かさに安住し、近頃は自己中気味でかけマージャンに熱中する人も多く、他の地域からは白い目で見られていました。

それが今回の地震では、皆我先に被災地に駆けつけ復旧に尽力しました。

以前は“ぼる”というので評判の悪かったタクシー運転手も、地震発生のニュースが伝わるや被災地にボランテイアで大挙して乗り付け、怪我人を奪い合うようにして病院に運び、全国から見直され賞賛されました“

・・・・・非常時に本当の人間性が試されるのだろう。

ちなみに今回の地震での成都の被害は少なかったという。沖積平野の上に位置しているため地震の振動が土壌に吸収されたためらしい。しかし生まれて初めて地震を経験した市民がパニック状態になり逃げ惑う中で、転んだり物にぶつかったりしてかなりの人が怪我をしたという。

追記 益洲險塞、沃野千里、天府之土、高祖因之以成帝業

これは諸葛亮(孔明)の言葉である。益洲は四川盆地、漢中盆地をさし、高祖は劉邦の事である。

                          

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