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2009/12/25

GJ !

以前インターネットでこの言葉を見たときは意味が分からなかった。初めはNGの親戚みたいで、けなし言葉かなとも思ったが、前後関係からどうやらほめ言葉だろうと推測した。色々検索してGood jobの略である事が分かった。

そろそろ新政権の予算が見えてきた。その中でも目玉ともいうべき子供手当は、私が当初考えていた以上にすごいものなのかもしれない。正にGJ!である。

子供一人に、中学卒業まで26千円くれるという。前政権がばら撒きとして一人、1万何がしかのお金をいかにもありがたげに配ったのと比べても、その額といい期間の長さといい桁違いである。当然賛否両論あって不思議ではない。

子供は社会の宝である。この余りに自明な事が最近はともすれば忘れがちであった。子育ては個人が片手間にできるような簡単なものではない。現在のような複雑な社会に適応し、かつ社会の維持、向上に役立つ人材を育てるのはその社会の存亡にかかわる大事業である。

それなのに今までは、子育ての苦労は個々の家庭に押し付け、成果だけを企業なり国家が横取りする構図になってしまっていたのではないか。

 “過ちて改めざる、これを過ちと謂う

 日本社会が長い間欠落していたことに、新政権が遅ればせながら取り組んでくれる。これぞ超長期的視点に立った政策といえるのではないか。今後の円滑な運営に大いに期待したい。

 また高額所得者で補助を必要としない人は寄付として辞退する道も併記されていた。この財源が世界の子供の教育に役立てれば、多くの人々から感謝されるだろう。心配りが感じられる。

それにしても昨今の検察の目立ちたがり症候群とも見える行動には疑問を感じる。現首相の資金問題にこれだけエネルギーを割くより先にすべき、もっと社会に害を及ぼしている案件が山積みしていると思われる。

検察官は非常な権力を持っている。その権力を行使するには、根本には国民の利益を守るという強い使命感が必要であると思う。最近力の使われ方がぴんとはずれな事が多い気がする。

昨今の官僚の天下り問題とも、何か一脈通じるものを感じる。

 日本においてエリート選抜制度は知識習熟度に基礎を置く。これ自体は比較的公平にやる気のある人を選抜する方法として間違っていないと思う。

 問題はその前後である。社会との接点をいかに保障するかの問題である。現状では社会から遊離した純粋培養に陥りやすい。それを防ぐため受験資格に一定の社会人枠を設定する、合格後社会の中でもまれる期間(数年)を設けるなどの改革が必要なのではないだろうか。

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2009/12/18

赤い実とヒヨドリ

 こう書くと何となく童話の題名みたいなほんわかとしたイメージが浮かぶが、そうではない。熾烈な生存競争が行われているといわれる自然界に於ける、勝者連合の話である。

 クリスマス、お正月が近づくと街にはなんとないあわただしさと華やかな色彩があふれる。 中でもひときわ目に付くのが“赤”である。花屋の店頭もポインセチア、シクラメン・・・センリョウ、マンリョウ、ナンテンとにぎやかである。

Manryou  自然界でもこの時期赤色が目に付く。目の覚めるようなモミジを代表とする紅葉の時期は過ぎたが、最近まで木の実のアカがやたらと目に付いた。ご近所の庭にもナンテン、センリョウは定番で、ほかにモチノキ、ピラカンサ・・・、街路樹でもハナミズキ、コブシ、サンゴジュ・・・、とにぎやかだ。里山に足を伸ばすともう満山赤い実という感じである。ガマズミ、マユミ、カマツカ、シロダモ・・・・。

 これらの実の大きさが又申し合わせたように、ヒヨドリのくちばし仕様になっている。どちらが先か知らないが、どうやら赤い実とヒヨドリは現在のところ自然界で大いに繁栄しているといっていいだろう。

 それに対して水田関係の鳥は分が悪い。水棲動物が餌のトキは言うに及ばず、最近はスズメでさえ都会で見る事が少なくなったという。鳥の世界にも栄枯盛衰があるようである。

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2009/12/11

目に入れても痛くない!

 こんな言い回しが通用するのは逆に言うと、目にごみが入った時の痛さを皆が認めるからだろう。

 私も最近ひどい目に会った。

 この秋はいつになく庭の手入れに熱中したのだが、ある日剪定の最中突然左目に激しい痛みが走った。なにかごみが入ったのかな。慌てて作業を中断し、洗面所に駆け込み水を張ったコップに左目をつけてパチパチ瞬きをした。今まで目にごみが入った時はこうして難なく水に洗い出されたものだった。

 ところが今回は違った。何度繰り返しても痛みは治まらない。当然水の中にごみらしきものも見当たらない。鏡で左目を左右上下眺め回しても何も見つからない。

 実は以前も似たような経験をした事が会った。そのときは読書中だった。やはり私のできることはし尽くしたのち近隣の救急病院に駆けつけた。昼休み中にもかかわらず丁寧に診察して白目に突き刺さっていた小さなガラス状のごみを取り除いてくれた。医者のありがたさが身に沁みたものだ。

 今回も万策尽きた後考えたのは病院に行くことだった。不味いことに連休中だったが、以前ならどこかが休日診療していた。ところが調べると近隣には休日に眼科診療をやってくれるところがない。これはショックだった。そのご何箇所電話を掛け捲った事だろう。やっと都内で3箇所開院している事、そのうち1箇所が比較的近い事を知った。

 教えてもらった電話番号にかけると、受付時間があと一時間で終了とのコト、我が家からだと交通機関2つの乗換えが必要である。財布と保険証を持って、慌てて家を飛び出した。この痛さを翌日まで引きずるなんて耐えられない。

 乗換えがスムーズに行き何とか、受付に滑り込みその日の最後の患者になれた。

 医者が私の左目の拡大映像を見せてくれた。よりもよって白目と虹彩の境目に木屑のようなものが刺さっているようだった。小さなピンセットでそれを取り除いて一件落着。安堵感に満たされて帰路に着いた。

 それにしても人間、自分が当事者にならないとなかなか気が付かない事が多い。目の中のごみでこの始末である。

 救急医療の崩壊が叫ばれて久しい。救急患者の医院間のたらいまわしや、臨月の産婦の受け入れ拒否など、当事者にとってどんなに精神的にも肉体的にも過酷な仕打ちであっただろうか。

 政治には優先課題というものがあると思う。人の命が第一である。次に日常生活の防衛である。これらをおろそかにして、高速道路無料化もむなしい。

 先日K 金融・郵政担当相とK副総理・国家戦略担当相との激しいやり取りがあったと聞く。今の与党の内情が良く分かる図式だと思った。ベテラン政治家K氏は現実の庶民の生活を守りたいのだろう、対する生え抜きの民主党のK氏は政治理念に重きがあるように見える。この二者をいかに融合させていくかが今後の政治運営の見せ所だろう。

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2009/12/04

 仕分けの季節

 政治の世界での仕分けは一段落を迎えたようだが、政権交代の新風は我が家の庭先まで及び、この秋以来、庭の仕分けに熱中している。

 まずは恒例の常緑樹の剪定に始まった。犬マキ、キンモクセイ、モッコク、犬ツゲ、マツ・・・と済ませれば例年だと年内の庭仕事は大体終わりなのだが、今年は違った。生来の整理整頓好きに火がついてしまったようである。ここ十年来なんとなく増えてきたプランターや鉢植えの一大仕分けに手が伸びた。 

 植えっぱなしで、枯れない程度に水遣りしていただけなので、どれもこれもあふれんばかりに育ち、根詰まりを起こしていた。近くのホームセンターで腐葉土や赤玉土、プランターなどを買い込み、作業に取り掛かるが一朝一夕に片付く量ではない。そのうえこの時期にしては雨の日が多かった。急な用事も入る。何やかにやでやっと一通りの見直しが終わった。手を入れたい事はまだまだ在るが、後は来春に回そう。

 それにしても、プランターがやけに増えてしまった。途中何人かの知人に、半ば強制的に持ち帰ってもらったのだが、焼け石に水である。

ああ・・・、もっと広い庭が欲しいなぁ!思い切って田舎に移って広い土地に自由に様々な植物を育てるのも楽しいだろうな。

色々空想は広がるが、現実問題としては限られた空間を生かすしかない。

さし当たっては植え込みの下に余り日照を必要としない木や草のプランターを移動することにした。直植えにしたら大きくなりすぎると困るし、移動もできなくなる。そもそも従来の木の根がびっしりと張り巡らされていて掘り返す余地もない。

このプランター移動作戦は大成功で、庭には歩く場所が回復された。植物達も新しい空間が結構気に入ったようである。来春、落葉樹が若葉に覆われる前に、一回り小ぶりに剪定しておけば日照も問題ないだろう。我が家の庭の仕分けもさしあたって一段落である。

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