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2010/09/24

現内閣に欠けているもの・・・

一昨日来、大阪地検特捜部のエリート検事による、証拠改ざん疑惑報道が日本列島を震撼させている。犯罪を摘発して社会正義を実現させるべき行政機関の一員(組織?)が、無実の善良な個人を、冤罪に落とし込もうと画策したようである。成果主義の弊害、ココに極まれりというべきか、あるいは政治謀略の一端が露呈したのだろうか。

いずれにしても、このような検察による嫌疑をよりどころに政権交代の最大功労者ともいうべき小沢氏を排除する事に政権基盤をかけている現内閣執行部の感想を聞いてみたいものだ。

永年の懸案、沖縄の基地問題もどうなるのだろう。前総理の目指した沖縄住民の負担軽減の方向性は正しかったと思う。ただ実行への綿密な戦略がなかったために期待した分、沖縄住民の失望は大きかったのだろう。難しいからといって、この問題から逃げていいわけではない。

沖縄の人々の米軍基地への嫌悪は何も戦後始まったわけではない。先の大戦の末期、本土防衛の捨石とされた悲惨な過去の記憶が底流にあると思う。それは記述された歴史ではなく、沖縄の人々の祖父母、両親世代の実体験として子に孫に共有されている。

 

 そして突如として沸き起こった尖閣諸島問題。これは領土も絡まった複雑な問題ではあるが、今は船長の帰還を認めない政府の行動一点に絞ったほうが分かりやすいだろう。

 時は中秋の名月。中国では離れ離れになって暮らしていた家族が一同に会して団欒する大事な日である。古来よりの伝統行事であるが、最近は農村を離れ都会で、海外で働いている人の増加に伴い中国人にとっては何を置いても帰省したい大事な祝日となっている。

 さらに深刻な問題となっているのは、船長が日本人により逮捕されたという事で、船長の祖母が心労のために無くなったという事だ。船長の祖母は日本の中国侵略戦争を体験した世代である。かって見聞した日本兵の残虐行為がまざまざと脳裏に浮かんできたのかもしれない。

 また中国人の葬式観が今の日本人にはほとんど理解の範疇を超えていると思われる。(何せ幻の超高齢者が埋葬される事なく放置されて続々と発見されるご時世である)

かっては棺を生前に用意する事が庶民の夢であり、親の葬儀を立派に執り行う事は今でも男子の本懐である。今回自分が原因でなくなった祖母の葬儀に出られないとなると、船長さんの面子はつぶれ、彼は一生自責の念から逃れる事はできないだろう。

このことは多くの中国人が共有する心理だと思う。極言すれば中国人の魂の問題だと思う。

隣国と仲良くやっていくのは難しいともいわれる。しかしこれは心のありようだと思われる。

現内閣に欠けているもの、それは“仁の心(他人への思いやり)なのかもしれない。

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2010/09/17

青いケシを見てきました! 5

 バスは段々と高度を上げ、始めは半袖でも良かったのに長袖を追加し、上着を着込みとバスの内部も冷えてくる。

昼を少し回った頃、夾金山峠に着く。標高4100m。私にとっては未体験ゾーンである。外は寒いとのことだったので、更に防寒着を着てバスを降りる。

Sakurasou 車道を少し外れ斜面を登る。森林限界をすでに超えていて、細かい岩の間に高山植物が必死にへばり付いている。珍しい花々の中に、日本の高山でなじみの花々もさりげなく点在している。

一歩一歩がなんともけだるい。体が自分のもので無くなったようで数メートルの移動がきつい。夢中で写真を撮ったが、しばらくすると手袋をしてなかったので手がかじかんで動かなくなる。

赤いケシ、黄色いケシとケシの種類は豊富だったが、目指すケシはなかった。

そこから又バスで双橋溝に向かった。Kousugi

ここは四姑娘(標高6250m)の山麓、標高3000mに位置し、大自然に抱かれた美しい観光地だ。歩きやすい木道が整備され、残雪残る峰峰を背景に、湿地や小沼が続く。

紅杉という一見メタセコイヤに似た杉木立と高山植物群落に時間の経過を忘れてしまう。

夕闇が迫る頃この日の宿に向かった。

追記

 民主党の党首選が終わりました。結果のいかんにかかわらず残念だったのは、マスコミの中立姿勢が揺らいで(崩壊?)感じられた事と、言葉に対する真摯さを疑いたくなる候補者の存在でした。

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2010/09/10

青いケシを見てきました! 4

 当時中国は国家存亡の危機にあった。アヘン戦争以来、列強の権益争奪戦の舞台となり、国の富は吸い取られ、麻薬中毒も蔓延し国民は物心両面から蝕まれていた。しかし中国人の多くが“阿Q"のように不確かな情報に踊らされ右往左往し、その姿は砂の粒”と嘆かれるほどまとまりがなかった。

そんな中から救国のうねりが沸き起こり1911年、辛亥革命により中華民国の成立を見るが、武力に勝る軍閥、後に蒋介石に実権を奪われ革命主体は弾圧される。

しかし革命の炎は農村に飛び火し“燎原の火”と呼ばれるように燃え盛った。その中から生まれた紅軍が中国革命を推進するまでに成長していくのだが、その厳しい試練の“長征”ルートの中の最も過酷な場面が、今にして思えば今回の旅行と重なっていた。

瀘定橋の攻防は中でも決定的な出来事だった。この橋を奪取できた事が、今の中国の基礎を作ったとも言えるのだ。

毛沢東、周恩来、朱徳、・・・劉少奇、林彪、・・・鄧小平・・・・

すべて長征の試練に鍛えられた人々である。

蛇足だが私達の旅を夏の富士登山に譬えるならば、紅軍の長征は暴風の吹き荒れる冬の富士登山ほどの差があるのはいうまでもないが・・・・。

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2010/09/03

青いケシを見てきました! 3

 成田から飛行機で成都へ、二回目なので緊張もなく、町並みや建物も何となく見覚えがあり旧知の町に来たような感じがした。前回はここから又飛行機だったのだが、今回は違う。徐々に高度順応するようにと翌日からバス旅である。 

途中パンダ繁殖センターへ。去年見たところとは別で、本当にパンダが生息している地域に作られているので、より自然状態で見れる。子パンダが多かったせいもあるが、何しろ可愛い!抱っこしてつれて帰りたくなる。

Gaan この日は雅安泊だった。四川盆地の西端、別名“雨城”といわれるほど雨の多い地で緑豊かな川沿いの古きよき中国の面影をとどめた町並みだ。

この地の茶を飲む習慣が秦の発展とともに中国全域に広がったという正真正銘の茶文化の発祥の地という。

途中食べた地方料理の昼食も美味しく、何となくゆったりとした歴史の中に浸っている気持ちになった。

雅安からの日程はきつかった。何しろバスが長い(6,7時間)。道も狭く、いたるところ工事中であり、さらに急速に高度が上がっていく。両側に迫った山肌は殆んど瓦礫状態だが、どうやって造ったかと思うような猫の額ほどの畑が点在し、トウモロコシや山椒、リンゴの木などが植えられている。

この辺はイ族などの少数民族の居住地といい、家は石を積み上げた一見城塞風の独特のものである。

うつらうつらしながら右手の茶色くにごった濁流と切り立った向こう岸を見ながら、黒部峡谷を何となく思い出していると、ガイドさんの声が飛び込んできた。

“前方に見える橋が紅軍の渡った大渡河の瀘定橋です”・・・・・

余りに突然の出会いだった。もうすっかり忘れかけていた19歳の私が突如呼び出された。あの頃“中国の赤い星(エドガースノー)”を読んだことが現代中国に私が惹かれるようになるきっかけだった。・・・・

                 続く

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