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2016/10/23

16  大叔父   続

東北地方の冬の訪れはとても早いのです。九月には薄手のセーターが必要になり、十月に薄手のオーバーになったと思うと、十一月にはもう雪の季節となります。

 

小学校入学以来、母は私の首に家の鍵をかけました。学校が終わるとすぐにうちに帰って宿題をしなければいけません。一人で家に帰っても、うちの中は冷えきっています。魔法瓶の中のお湯も一日たっているともう凍っています。そのうえ4時を過ぎるとあたりは暗くなり、一人で階段を上るのは怖いのです。当時、階段には明かりがなく、暗くなってから階段を上るときは、懐中電灯を使わなければなりません。懐中電灯の弱い光が足元を照らしても、後ろはもっと暗く感じます。いつも、なんだか両手が暗闇から私に向かって伸びてきているようで、後ろを振り向くのも恐ろしかったのです。

放課後一人で家に帰るのは、私にとって寒さよりも暗闇の方がよっぽど恐ろしかったのです。

 

同じクラスに、アパートの同じ棟で階段が違う子がいました。放課後いつの間にかこの子について彼女の家に帰るようになりました。門を開けると暖かな空気がふわーと迎えてくれます。それに続いて彼女のお母さんの小言が聞こえてきます。

 “早く手を洗いなさい!”

“先に宿題を済ませるのよ!”

友達はうるさそうで、もう聞き飽きたという感じです。でも私にとっては、これらこそ

自分のうちという感じなのです。電灯の明かりは決して明るくはないのですが、お母さんが近くにいてくれるなんて何よりのぬくもりなのです。

 

私と友達が部屋で宿題をしていると、彼女のお母さんは台所でジュウジュウと野菜をいためています。しばらくすると、ご飯の用意ができます。友達にご飯を食べなさいという一方、わたしに聞きます。

“あなたまだ家に帰らないの?ご飯食べなくていいの?“

あの食糧難の時代、どの家でもよその子まで食べさせる余裕はなかったのです。

私はすごすごと、カバンを片付け階段を下りるしかありませんでした。

 

私はどうしても、一人で冷え切った真っ暗な家に帰っていく気がしないので、道端の街灯の下で母が仕事を終え帰ってくるのを待っていました。

雪が降ってきました。ボタン雪が、舞い降りてきます。顔を上げると、街灯の明かりの中をひらひらと私の頭に降り積もります。そして溶けて冷たい水玉になって、私の髪を伝わって落ちてきます。

 

道行く人は、そそくさと通り過ぎ、自転車もぎしぎしした音を出しながら過ぎ去ります。私はこれらのきしみ音の中から、母の自転車が現れるのを待ち焦がれます。私はとっくに、凍えておなかがすいて倒れそうです。

私はぼんやりと、荒れ狂たように舞い降りてくる雪を見ていると、だんだん頭がボーとしてきます。どんなに待ち続けたことでしょう。

まだ一才未満の妹をおんぶして、自転車を押した母が私の前に立っていました。

”寒かったでしょう、お家に帰りましょうね!“

母は疲れ果ててもう声を出す元気もないという感じです。

 

私たちは四階に住んでいました。自転車も四階まで持ち上げなくてはなりません。1979年といえば、一般庶民にとって、自転車は贅沢品でした。うちが何階であっても絶対に家の中まで運ばなければなりませんでした。誰かに盗まれるのを防ぐためだけではなかったのです。当時の寒さと来たら真夜中は零下40度前後になり、自転車のタイヤが凍結してしまうのです。

 

私は懐中電灯で階段を照らしながら前を歩き、母は妹を背負い、自転車を持ち上げてよろよろとついてきます。突然妹がわっと泣き出しました。どうも階段の曲がり角で、母の担いでいた自転車がぶつかってしまったみたいです。私が振り返ると懐中電灯も後ろを照らし出します。すると進行方向が真っ暗になり、母が前車輪を、階段の踊り場に思いっきりぶつけてしまい、母は躓いてあわや下に落ちそうになりました。

“なにしてるの!!ちゃんと前を照らして!”

母は怒ってしまいました。妹はまだ泣き続けています。私は唇をかみしめ、頭を下げて注意しながら階段を照らし続けます。

 

ついに家に着きました。母が明かりをつけ、自転車を台所と寝室の間の通路に置きます。それから部屋に入って、おんぶしていた妹を下ろします。

”妹を見ててね、私は火を起こして、ご飯を作ってくるから。“

母は妹をあやしている暇もありません。部屋の中は冷え切っていてオーバーを脱ぐこともできません。水を飲もうにも、ご飯を食べようにもまず火をおこさなくてはなりません。

 

もこもこの木綿の綿入れにくるまれた妹は、まるでまん丸いボールみたいです。ふぎゃあふぎゃあと硬いオンドルの上をゴロゴロと動き回ります。妹がオンドルから地面に落っこちて、母に怒られないように私は、ずっとそばに立って見守ります。しばらくすると、濃い煙が台所から流れてきます。オンドルがようやく熱くなってきて、しばらくすると部屋全体もあったまってきます。

 

ついに私たちは、分厚いオーバーを脱ぐことができ、お湯を飲むこともできるのです。

そして間もなくご飯になります。高粱飯・・・。

その頃は食糧難で、配給票がないと、現金だけでは買えなかった時代でした。毎月国が支給してくれるお米の量は十分ではなく、私たちはいつも、高粱飯を食べていました。たまに母は、熱々の高粱飯に、少しの豚油(ラード)を混ぜ込み、その上に醤油を少々かけます。こうすると、もともとごわごわした高粱飯に何となくお肉の香りがしてくるのです。本当に不思議でした。

 

日ごとに寒さが増してきます。毎日街灯の下で仕事から帰ってくる母を待つのはだんだん耐えがたくなってきます。足は凍えて赤く膨れてきます。耳は凍ってかゆくなってきます。しばらくすると、かかとにしもやけができて、薬を塗って何とか我慢していました。

大叔父はそんな私を見かねて、家に引き取ってめんどうをみてくれることになりました。

 

大叔父の家は、もともと私の家からあまり離れていません。まっすぐに伸びた鉄道にそってしばらく歩くと着きます。学校が終わると、私は大叔父の工場で時間をつぶします。(当時学校は副業として工場を経営していて、大叔父が責任者でした。)大叔父の仕事机に腹ばいになり宿題をします。大叔父が帰宅するときは、一緒に連れて帰ってくれます。帰り道、私は枕木の上を、一本一本ピョンピョン飛んで、少し疲れたなと思う頃大叔父の家が目の前に現れます。大叔母は外で働いてなかったので、夕食の準備を終え私たちの帰りを待っていてくれました。大叔父の家はいつでも暖かく、ご飯もおかずもできたてのホカホカでした。しかもごくまれですが肉にありつけることもあったのです。

 

こういう事情で、私は大叔父の家に住むことになりました。毎日大叔父と一緒に、登校し下校します。大叔父も大叔母もとても私をかわいがってくれました。もしあの事件が起こらなかったら、私はずっと大叔父と一緒に生活していたと思います。

 

                                 ( 続く )

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