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2016/12/12

19 本との遭遇

 

休みになると、母は家のカギを首にかけてくれました。胡同の友達と遊びに出かけるときは自分でカギをかけて出ます。しかし母はそのうち私の休み中の宿題の進展具合が極めて遅いのに気が付きました。さらにあるとき遊びに夢中になって、カギをなくしてしまいました。父はものすごく怒って、私にカギを渡すのをやめてしまい、昼間友達と外で遊ぶのも禁止したのです。父母が仕事に出かけるときは私を家の中に閉じ込めることにしたのです。

 

 

夏休み。窓は開け放たれています。外の子供たちの笑い声や、歓声がいやおうなしに飛び込んでくるので、私はいてもたってもいられなくなります。外の明るい陽射しの中、子供たちの日焼けした顔が、家の窓の前を行ったり来たりします。なのに私は出ていけません。窓という窓には、防犯のため太い鉄格子がついています。いくら小学生の小さな私でもその隙間を潜り抜けることはできません。私ができるただ一つのことは、隙間から手を伸ばして、友達を窓の下に手招きし、順番に何か面白い話をして時間つぶしをすることでした。でもしばらくするとみんな飽きてしまいます。それぞれゴム飛びやお手玉あて(ドッジボールに似ている)をしに行ってしまいます。一人ボッチになった私は、窓辺でみんなを寂しく見ているだけでした。

 

暇!!母が仕事から帰り、あの重たい鎖の鍵を開けるまで、私には何にもすることがありません。時間の進み方が遅すぎるのです!

 

家の物置の一角に、ほこりをかぶった一つの軍用トランクが置いてありました。私は好奇心の赴くまま開けてみました。中には「シャーロックホームズ」のシリーズと大体そろった「魯迅全集」が入っていました。これらは我が家では唯一の本といってもいいものですが、父や母が読んだのを今まで見たことがありませんでした。

 

私はまず「シャーロックホームズ」をむさぼるように読みふけりました。ホームズが事件現場に赴き、一つまた一つと事件の謎を解きほぐしていきます。彼の知恵に憧れ、物語の場面に引き付けられたのですが、事件現場の血まみれの情景や、次々におこる殺人事件は、薄暗い部屋の中で留守番をしている私にとっては、まるでその場に居合わしているようで、恐怖そのものでした。

 

それでもやっぱり暇すぎました!私は、自分を恐ろしくも謎に満ちた事件の中に埋没させていました。恐怖なんて糞くらえ、私は恐怖を相棒にしてしまいました。

 

「魯迅全集」の言葉は、ずいぶんとっつきにくいものでした。やっと四年生になったばかりの私にとってはやはり難し過ぎました。私には、筆を刀に変えて政治や国家に対する憂いを文字の中に溶け込ませる様式が理解できませんでした。「祥林嫂」の中で子供がオオカミに食べられてしまう場面ではかわいそうだし、何より怖くて私がオオカミの来ない町中に住んでいるのを本当に感謝しました。幸いに母がカギをかけてくれていたので、オオカミが来ても入ってこられません。こう思うと、一人で薄暗い家の中に押し込められているのがなにも苦痛で無くなりました。

 

 

あの年、私は四年生といっても実際には九歳でした。その休暇中に私は古ぼけた箱いっぱいに詰まっていた、この二つのシリーズを読み終わりました。

私はこの孤独な休暇の過ごし方に感謝すべきかどうか解りません。ただこのことが私の読書の基礎を作り、私が読書の中に喜びを見出すようになったのは事実です。

 

家の生活は依然として、とても苦しいものでした。ただ幸いなことに苦しいのは、うちだけではなくて、周囲の人もみんな同じような苦しさの中で生活していました。

 

肉を買うには、肉の配給券が必要でした。コメを買うにもコメの配給券が必要です。果ては豆腐を買うにも、パンを買うにもそれぞれ配給券で決まった量だけ交換しなければいけません。当時は食糧難の時代でした。

 

母の友人に屠殺場で働いている人がいました。そこでは豚の頭は人気商品で、いい値段で取引されていました。でも羊の頭と牛の頭は特に食べられる肉もついていないので、ほとんど捨てられていました。

冬のある日、母は友達の働いているところに出かけ、この誰もほしがらない羊の頭と牛の頭を買ってきました。もちろん配給券も必要ないし、きわめて安価で手に入りました。母はいっぺんに十数個も買い込んで帰ってきたのです。これらは我が家のひと冬の肉を賄ってくれました。

 

言っておきますが、それは本当に羊と牛の頭なのです。それは今しがた切り落とされた血の滴っている、怒りにカッとまん丸い目が見開かれた頭なのです。彼らの痛みと苦しみがその一瞬に凝縮されていました。

 

 

当時の東北地方の冬は、まさに厳寒期でした。昼間であっても零下34度はざらでした。夜ともなれば零下45度前後となります。防寒のため普段は玄関を入るとすぐの部屋は、倉庫として、いろいろなものの貯蔵庫となります。そこは天然の冷凍庫みたいでアイスキャンデーを置いといても柔らかくなりません。さらに奥に入った部屋が、やっと居住空間となるのです。

 

父はこれらの恐ろし気な牛と羊の頭を一つ一つきちっと倉庫の床に並べました。私は毎日玄関を出入りするたびに、これら血に染まった頭たちに顔を突き合わせ、あいさつしなければなりませんでした。

 

 

その年の冬休みは最悪でした。私は一人で鍵のかけられた家の中で過ごさなければならなかったのです。私のオマルは牛の頭のすぐ近くにありました。私が用を足している間、彼らはずっと私をにらみつけているのです。私はまるで彼らの苦しみが私に乗り移ったみたいで、体中が激しく震えました。

私はトイレに行かなくても済むように、一日中水を飲まないようにしました。そして部屋の一番奥に身を潜め、読書に没頭しました。友達には自分の家にあった本を何でもいいので持ってきてもらいました。それらの本は、私の家にあった本よりはずっと面白く感じました。恋愛もの、武術物等々みんな当時の寂しくって、耐えがたかった、あの牛の頭とにらみ合った日々に読んだものです。

 

中には日本の小説もありました。(もちろん中国語に翻訳されたものです。)

「はなれ女おりん」・・・当時の私にとって、冬はボタン雪が舞う雪遊びができる世界ではなく、薄暗く、冷たく、孤独で寂しいものでした。おりんの世界が私の世界に溶け合って、今でもしんみり思い出されます。

 

「伊豆の踊子」・・・ハンサムで聡明な若者と、美しい少女の淡い心の触れ合いに気持ちがほっこりしました。

 

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