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2017/03/21

26 中高一貫校 続

私は内心大喜びで、この落ち着いた品のある名門校に登校し始めました。ここでしっかり勉強しようと心に誓ったのでした。

しかし一日目の授業で、完全につまずきました。先生が言っていることが全く理解できなかったのです。

 

この学校は、進学率が高く教育内容が優れていることで有名でした。教育内容は以前の中学に比べて2か月ぐらい先に進んでいるのです。そのため、数学に出てくる分子、分母,約分などの用語が私にとっては、外国語のように感じられました。さらに英語の文法など全くわかりませんでした。

 

教師は私が、何もかもさっぱりできないので、失望の色を露骨に示しました。

コネで入ってきた生徒の成績がこのようにひどいのでは、クラス全体の成績にかかわります。教師は、彼女の失望を少しも隠すことなく、最初の授業の後、私に告げました。

“あなたは、この名門校にふさわしくないから、元の学校に戻った方がいいわよ”

 

今までは、クラスの中では2歳下なのだからと、先生や同級生に甘えてきて、またそれが許されてきていたので、私は、またコノ手を使いました。

“ごめんなさい先生。でも私はまだ11歳になっていないんです!”

“年が小さいのは、あなた自身の問題でしょう。私はあなたの学力を問題にしているのです。あなたの成績はクラス全体の足を引っ張るのです。だから私たちは、あなたを受け入れることができないのです。”

“でも、授業の内容が、私にはまだ習っていないことなのです!”

“それはあなた個人の問題でしょう!もし授業の内容が理解できないなら、当然、学習成績もいいわけないわね。もう帰っていいわよ。明日からくる必要もないのよ!”

教師は冷たく言い放ちました。

 

私は恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分でした。家に帰っても母になんと言ったらいいのでしょう。

家に着くと母が学校の様子を聞いてきました。私は、校舎がきれいで気に入ったと言うしかありませんでした。

 

二日目、昨日と同じように鞄を背負って登校しました。

教師は私を見ると、眉間にしわを寄せて、傍らの教師と一言二言言葉を交わすと去っていきました。

 

この日の授業も、外国語の授業を聞いているみたいで、何も聞き取れませんでした。

私は一番前の席だったので、いやでも目立ってしまいます。

私には、一人一人の教師の、私を見る視線が刺さるようでした。なぜ教師の話さへ理解できないのにこの名門校にやってきたのと非難しているように感じられました。

 

英語、代数、幾何、物理・・・みんなびっくりするような速度で進んでいきます。

私の理解できない教科書のページだけがどんどんと厚くなっていき、その圧力で私は息が詰まりそうでした。

 

数日後の放課後、職員室の前に、全身怒り狂った教師の前で父と母が申し訳なさそうな笑いを浮かべて立っていました。制服に身を包んだ、いつもは堂々とした父がいやに腰を低くして、母の後ろに控えています。

しばらくすると、母の二番目のおじさんも上の階から降りてきました。教師の剣幕に圧倒されてすぐに腰をかがめて謝っています。私は緊張で心臓がキリキリしました。

 

家に帰ると、修羅場が待ち構えていると覚悟していました。しかし父も母も普段どうりで、のんびりと世間話をしながら、夕飯の用意をしています。

 

夕飯が終わると、母はさりげなく話してくれました。

“おじさんのメンツを立てて、先生はあなたをクラスに残してくれることになったの。でもそれは3か月の期限つきなのよ。もし3か月後の期末試験で、あなたの成績がクラスの真ん中以下だったら、私たちはこの学校にどうもふさわしくないみたいだから、その時はまた転校しましょう!”

 

“はい!”私は分かったような、分からないような曖昧な返事をしました。

 

母は文化大革命の時期としては、最高学歴といえる高校卒業生でした。母は、当分洋裁の副業をやめて毎日わたしの数学、物理、化学等々の科目を補習してくれました。

しかし中学レベルの知識は、母もかなり忘れていたようです。一題の数学の問題を解くために、私と母はスタンドの下で、頭を寄せ合って、一緒に考え、一緒に議論しあいました。

母の協力のおかげで、無味乾燥な科目が、生き生きと面白く感じられるようになりました。

 

英語に関しては、母は実際のところ力不足を感じたようです。

当時は“学習塾”もありませんでした。母は職場の若い技術者(大卒)に私の勉強を見てもらうことにしました。そこで毎週日曜日、母は私を自転車の荷台に乗せて30分余りある母の職場に通いました。

そういう事情で、私はだだっ広い工場の中の、狭い母の作業室の中で、若い女性技術者から英語を学びました。

私は単語と英語の本文を小さなノートに写して常時持ち歩き、登校途中も歩きながら、単語と本文を暗唱しました。

こうして、過酷ともいえる学習を耐えて、運命の期末考査を迎えました。

 

教師達の予想を覆して、わずか3か月の猶予期間にもかかわらず、私はクラス50人中、23番の成績を勝ち取りました。

 

こうして約束どおり、教師は私をクラスに残すことに渋々同意しました。これ以後嫌がらせも随分少なくなりました。

 

こんな経緯で、私は東北地域の唯一の女子中高一貫教育の名門校に正式に入学しました。

これは家族全員にとっても非常に喜ばしい出来事でした。

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2017/03/11

25   中高一貫校

町の家に帰ると、残りの半年の小学校生活を終え、私は中学生になりました。

 

その学校は、地区の普通学校でした。校舎は製材所と製紙工場に挟まれていて、生徒の大部分はこの二つの工場で働く工員さんの子供です。言い換えれば、あまり教育環境に恵まれていない子供たちでした。

 

校舎はレンガを積み重ねて作られた平屋で、教室の窓は穴だらけでした。それは元気な男子生徒が、サッカーしていて明けてしまったものです。冬ともなれば、昼間でも外の温度は零下30度に下がります。穴だらけの窓は、冬の到来を控えて、先生たちが大きなビニールを張ってふさいでくれているのですが、肌を刺すような冷風が情け容赦なく窓の隙間から吹き込んできて、私たちは寒さに凍えて体中震えが止まりません。

 

教室の前方の真ん中に、大きなストーブがありました。教室に来た先生の最初の仕事は、

まずこのストーブに火をおこし教室を温めることです。そのあとの先生も授業を続ける一方で、絶え間なく石炭を足し続け、最後の授業まで、火が途切れないように気を配ります。

 

ストーブの後ろには、うすい鉄製の筒が、ずっと教室を貫いて後ろの壁から煙突につながっていました。当時使用していた石炭の質が極めて悪かったので,黒いモクモクした煙が吐き出されます。鉄製の筒は使い古されて錆びだらけで、ところどころにできた穴から、その煙が筋のように教室の中に立ち上ります。ひどい時には、黒板に書かれた文字も見えなくなります。時には、先生は授業を切り上げ、窓を開け放して教室の換気をせざるを得なくなりました。

 

授業ができなくなると、元気な男子生徒はみんな外に遊びにいきます。

雪合戦、雪だるま作り、雪の上でのサッカー・・・。全身汗と溶けた雪でぐしょぐしょになります。

 

もっと後になると、男子生徒のいたずらはエスカレートしました。

ある時、彼らは放課後、教室に忍び込み、煙を通す管にレンガを詰めて煙の通路をふさいでしまいました。

事情を知らない先生は、早朝教室に来ると、いつものようにストーブに火をおこし教室を暖かくしようとします。しかし濃い煙は煙突から出ていかず、一気にストーブの口からあふれてきました。たちまち教室の中は、手を伸ばすと指先が見えないほどで、呼吸さえ困難になりました。

仕方なく、先生は授業停止を宣言せざるを得ませんでした。

その時は、事故の原因を調べたり、煙突を修理したりで生徒は、二日間の休暇を手に入れたのです。

 

このようにして、私たちの冬の授業は、いたずら盛りの生徒たちと先生の間に繰り広げられた“戦争”の中、とぎれとぎれに続けられました。

 

半年後、中間テストの結果が発表されました。

私の成績はクラスの中では“優等生”でしたが、その内実は、得意な国語が65点。クラスの英語の平均点に至っては、30点そこそこというひどいものでした。

 

母は、この学校の教育レベルが不安になり、私を転校させることにしました。

 

 

我が家の近くに歴史のある“女子中学”という名門校がありました。

この学校は当時東北地方では唯一の中高一貫の女子校で、大学進学率も全市のトップクラスでした。

 

母の2番目のおじさんが、この学校で数学の先生をしていた縁もあり、とても大変だったようですが、何とか私はこの学校に転校することができました。

 

この学校は当時としては珍しいビル建築で、暖房設備は室外に設置されていて、教室ごとにパネルヒーターがあり、暖かいうえに煙のすすがないのです!

煤煙に悩まされない冬はなんと清々しいのでしょう。

 

校舎は英国風のクラシックなもので、教室の外壁には重厚なタイルがはめ込まれていて、日の光に輝いてまぶしいくらいです。校舎の床は、滑らかなコンクリートでところどころには大理石が敷き詰められていました。天井に取り付けられた照明は昼間もずっと点灯されていて、その穏やかな明かりが大理石に反射して、なんとも言えない上品で穏やかな雰囲気を醸し出していました。

 

学校には制服がありました。セーラー服で、上着は藍色、スカートは濃紺でした。

豪華な校舎の造りの割には、教室はすっきりしていて、女子生徒はお上品・・・。最初のうち、私は緊張して息をするのもはばかられる感じでした。

私は中途転入の生徒だったので、先生は倉庫から一人用の机を探してきて、一番前に置き、私の席にしました。

 

この学校の窓はどこも割れていません。しかも二重になっていて保温効果抜群なのです。

私は内心大満足でした。こんないい環境の中で一生懸命勉強したいと心から思いました。

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